3/07/2007

テロの脅威を実感した週末

 仏教日などに、南部のイスラム教分離独立派によるテロが首都バンコクの繁華街で起こされる可能性があると、日本大使館やオーストラリア大使館、英国大使館が注意を促している。軍政もその危険性を明らかにした。

 さる3月3日は、仏教日の中でも重要なマーカブチャーだったこともあり、軍事政権も警戒を強めていた。その日の午後、筆者はあるホテルのスイミングプールで昼寝をしていたが、階下の道路をパトカーがサイレンを鳴らして何度も通り??ひょっとしたら??と不安になった。実際には何事もなく、ほっとした。年末に連続テロが発生し、今やバンコクでのテロにも現実味があるのだ。

 次のテロ警戒日は、イスラム過激派結成記念日の3月13日から15日にかけてとされる。さらにその先は4月半ばのタイ正月、ソンクラン、そしてカオパンサーと限がない。

 中国正月の2月18日に最南部で大規模な連続テロが起き、南部情勢は行き着くとこまで行った観がる。最近はタイ国軍によるテロ組織への攻撃も続き、多くのテロリストを殺害した。新聞等には容疑者の釈放を求めるイスラム教徒女性の姿が大写しになっている。

 テロリストに対しては断固とした姿勢が必要だ。しかし、その一方で、力と力の応酬の結果、ますますバンコクへの拡散が危惧される。

 タイ最南部はかつてマレーシア領だったという歴史的な経緯から、長らく分離独立運動が続いてきた。しかし、この3、4年は情勢が急激に悪化している。その背景には米国同時テロ以降、国際的なイスラム過激派の活動が活発化していることがあるだろう。

 スラユット暫定首相は、南部問題の解決には数年を要するとの見方を示しているが、何をもって「数年」としているのか分からない。その間にどんな調整方法があるのだろうか。イスラム教徒がタイのことを自国と思えるようにするにはどうしたらいいのか。タイが解決できれば、世界的な見本となるのだが??。【written by 水谷】

3 件のコメント:

3/08/2007 3:56 午後 に投稿, 匿名 さんは書きました...

プリヤディントンが辞任して、次は外国資本規制に反対のチャロンポップが財務大臣ですか。
南部問題も解決できず看板倒れ、経済政策も元どおりなら、何のためのクーデターだったのでしょう。
セッタキット・ポー・ピヤンも閉店間近ですね。

 
3/09/2007 10:29 午後 に投稿, 匿名 さんは書きました...

まずテロ組織との対話など懐柔をほのめかした時点で失格。スラユット暫定首相はテロ組織の扱い方が本質的にわかっていません。彼らの要求の本質は独立。それに対して譲歩条件をタイ王国として出せるはずの無いものに対し、対話など全く無意味です。
悲しい話ですが、過去の歴史を鑑みると、徹底した、行き過ぎたぐらいの取り締まり以外に手段はありません。ヨーロッパ諸国では独立運動の気配が上がるだけで弾圧するケースがほとんどです。
ましてや、今回の南部問題はテロ行為が見られる以上、鎮圧への大義名分には事欠かないのですが...

本当にテロ後の暫定政府の無策、無能ぶりにはあきれ果てます。政策の決定は遅い。やったことはタクシン時代の小見直し、タクシン時代の批判だけ。新政策は見当違いで見直しの連続。軍部の利権に群がる姿を見ると、よっぽどタクシン時代のほうが、汚職を割り引いても良かったと思います。

ただ、タクシン時代の末期にはバンコクの底辺層ですら”タクシン・オーク・パイ(タクシン出て行け)”運動に参加していました。あれだけ底辺層へ配慮した(ばら撒いた)政治家は歴代で初めてですが、そのあたりを理解できない国民あっての新政権と考えると、そんなものなのでしょうか。なにか釈然としない限界を感じています。

 
3/10/2007 4:31 午後 に投稿, 匿名 さんは書きました...

ブログは爆弾テロと南タイ問題ですが、プリヤディントン元財務相の名前が出ていますので、同じ政治ネタということでお許しを

私は、中央銀行総裁、当時のプリヤディントンという人は名総裁だと思っていました。
当時ひたすら景気刺激策を取り、金儲けイコール幸福というタクシン首相ら政府の反対を押し切って、原油の値上がりによるインフレリスクに対して、タイバーツの金利を引き上げ続けたインフレファイター、通貨価値の維持を第一にした中央銀行総裁だったのですが、財務相としては全く能力がなかったですね。

 

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