1251号(2007年1月1日)の社会ニュース


シラチャ日本人学校設立の動きが本格化
インド洋大津波から2年、各地で追悼式典
年末年始、タイへの日本人渡航者が急増
新たな年を大切に 羽田 令子 (作家)
日タイ修好120周年の夢 岩城雄次郎(タイ文学者)
首なし死体、脇に女性の下着2枚
実の父が娘を1年半近く強姦
女子大生、腕と腹部を刺される



シラチャ日本人学校設立構想、実現に向けて動きが本格化
バンコク校の分校とする案が最有力



バンコクの泰日協会学校

 タイ東部チョンブリ県シラチャに日本人学校を設立しようという動きが本格化している。シラチャは、東部臨海工業地域に工場を持つ日系企業の駐在員とその家族の主な居住地となっており、「日本語による日本国内に準じた子女教育」のニーズも高まっている。09年4月を開校目標に、関係者・団体での動きが活発になってきた。
(水谷 昇 記者)

 チョンブリ・ラヨン地区日本人会副会長で教育を担当する白井剛氏(アスノホリエ・タイランド)によると、同地区には現在、およそ3000人の日本人が住んでいるとされる。その多くが東部臨海工業地域で働く駐在員とその家族で、毎週土曜日には子女のための日本語補習授業校が開かれる。

 補習校の生徒数は小中高を合わせて、この5年間に約40人から約100人へと急増。これらの子女は、近くのインターナショナルスクールに通学しているが、実際にはその多くが日本語による日本国内に準じた授業を望んでいる。

 同日本人会が06年半ばに居住者・企業にアンケートを実施したところ、家族だけをバンコクに住まわせている駐在員が少なくなく、泰日協会学校(バンコクの日本人学校の正式名称)に通学している子女も約60人いた。

 また、子女のいる駐在員のうち、日本から帯同して赴任したのは2割ほどで、他の8割は日本に家族を残している。

 このようなことから、同日本人会会長の西田純敏氏(シームアン保険)は「シラチャに日本人学校ができれば、最初は生徒数が100人から200人だが、将来的には400人くらいになる」と見積もっている。

 「チョンブリ・ラヨン地区は10年前まで、駐在員といえば工場の立ち上げに来た50代、60代の単身赴任者がほとんどだった。しかし近年は30代、40代の若い人が大半で、子女のいる人も多く、日本人学校設立への要望が高まっている」(西田氏)

 日本人学校建設・運営のために必要な初期予算は、白井氏によると、1億から1億5000万バーツ。タイの財閥サハグループがシラチャ近郊の土地の無償提供を申し出ている。同グループでは、その他の学校も誘致して、文教地区として周囲も含めて不動産開発する計画。

 同日本人会では06年2月の定期総会で、新校設立可否を検討。10月の中間総会で設立準備に入ることが可決された。その後に新校設立小委員会が設立され、12月27日に最初の会合が開かれた。

 日本人学校設立で特に大きな課題が2つある。第1に、タイ政府からの認可を得なければならない。泰日協会学校は母国語による教育を認められた例外的な「特定学校」で、同校のタイ人理事の判断では、同じような形でタイ政府から認可を得ることは困難のようだ。

 例えば最近では韓国人学校設立申請が出ているがまだ認可されていない。そこで、有力案として浮上してきたのが、泰日協会学校の分校として設立すること。このため泰日協会学校の全面的な協力が必要になる。

 第2の課題は、資金調達だ。一部は日本政府からの支援が期待できるが、大半は自己調達しなければならない。しかし東部臨海工業地域に進出している日系企業は自動車関連の中小サポーティング・インダストリーが多く、資金的な余裕がない。このため、在バンコクの大手企業、あるいは日本人商工会議所の支援が不可欠だ。

 西田氏は「できるだけ広く日本社会からのご協力をお願いしたい」と話す。 

◆泰日協会・日本政府は協力姿勢

 シラチャに日本人学校を設立するため、今後、最も重要な役割を期待されているが泰日協会だ。その理事長を務める白ア憲二氏(タイ国三井物産)は「まだ理事会で正式な決議はしていないが、既に説明はしてあり、方向としては全面的に協力することになる。同じ日本人の子供たちの教育を機会均等にしてあげたい」と積極的に考えている。

 ただし、「受益者負担というこもあるので、シラチャの人たちに汗をかいていただきたい。私たちはその熱意に協力する」と釘を刺すことも忘れない。

 白ア氏の見通しでは、今後は1月下旬に同協会理事会と学校理事会とに、それぞれ検討委員会を設置する。特に学校側の委員会は、チョンブリ・ラヨン地区の代表者も招き、主導的な役割を担う。

 「09年4月の開校を目指すなら、今年(07年)の3月か4月までには主なアイテムを固め、基本的なフレームワークを作っておかないと間に合わない。学校側の委員会に様々な方面の人を巻き込み、一気に話を進めて行きたい」(白ア氏)

 一方、在タイ日本大使館の竹下良弘参事官は、「できるだけのことは協力したい。タイの文部省の許可について、必要があれば日本政府として申し入れる」と話す。

 文部科学省では、日本人学校として認定する条件として、該当国政府から認可を得ていること、また規模は生徒100人以上を目処としている。

 シラチャ校は規模の面では問題はない。タイの文部省の許可が降りて、資金面の問題も解決できれば、日本政府は「文科省から教師の派遣」「校舎の借料の補助」「現地採用教師の謝金補助」「学校の安全対策」で支援する。

 06年4月現在、世界50カ国・地域に85校の日本人学校がある。そこにシラチャ校が加わる可能性は高そうだ。


インド洋大津波から2年、各地で追悼式典
「災害から学ぶことが大切だ」



ろうそくの火が夜のパトンビーチを照らした

 約23万人の死者・行方不明者を出したインド洋大津波から2周年となった12月26日、被災したタイ各地で追悼式典が行われた。

 午後6時からプーケット島のパトンビーチで行われた同県とタイ政府観光庁主催の式典には、政府からスウィット観光スポーツ相、プーケット県のアンチャリー知事も出席した。

 スウィット観光スポーツ相は「タイ最大の被害をもたらした大津波から、プーケットをはじめ他の被災地も回復し、アンダマン海は津波以前と同じくらいに賑わっている。亡くなった方や被害に遭われた方を思い、災害から学ぶことが大切だ」と述べ、1000人以上の参列者とともに1分間の黙とうを捧げた。

 参列者たちは、3キロに渡って砂浜に小さな穴を掘り、中にろうそくの火を点して犠牲者を追悼した。夜の砂浜には見渡す限り光の穴が散りばめられた。また、2万個の空中灯篭が夜空に流され、プーケットの夜空を埋め尽くした。

 カマラビーチではプーケット日本人会による慰霊祭が行われた。遺族や友人など約250人が出席、1年前に建てた「慰霊之碑」の前で黙とうした。

 タイで最も多くの被害者を出したパンガー県のカオラックでは、同地で長男を亡くしたウボンラット王女参列のもと、政府主催の式典が行われた。



年末にスワンナプーム空港に到着した日本からの渡航者
年末年始、日本景気上向きでタイへの日本人渡航者が急増

 年末年始、多くの日本人渡航者がタイを訪れている。JTBバンコク支店によると、昨年同期比で15〜20%と急増の見通し。特に1月2日にタイに到着する渡航者が多いようだ。

 一方、ANAバンコク支店でも、同社便利用者は昨年に比べ増加。12月26日現在、1月1〜3日のエコノミークラスは往復(バンコク―東京間)ともに満席便が多いとのこと。同社では「日本景気が上向きなことが理由」と分析している。


新たな年を大切に 羽田 令子 (作家)


筆者近影

 新年おめでとう。

 サワディ・ピーマイ。

 ハッピィ・ニューイヤー。

 どれも年の初めを祝うことばである。1年間のけじめをつけ、カレンダー上の新しい年が始まる。この新たな出発の日は私も好きだが、皮相的、儀礼的な挨拶よりも「心を新たにしたい」と思うのである。

 ましてや世界の難問が押し寄せている現在の情勢下では、冷静に新年を迎えた次第である。

 新たな1年にどう対処すべきか。

 私は人類の再生を願いたい。戦争や病気、老化で命を終る人々がいる。私もやがてそういう日を迎えることになるかもしれない。

 だが、この地球に「生」を受けた限りは生命を大事にし、やがて後に続く人たちのために謙虚な気持で、希望を失わず、日々を真摯に送りたいのである。

 環境(政治、経済、文化、すべてを含む)が破壊されれば、人類の滅亡さえ考えられる。荒廃した地球に人類がいなければ、空虚な隕石と同じだ。

 こんなことを思うのは、既に半生を送ってきたからだ。だが、それでも欲望や栄達、悪徳、偽者が目立つ世が存在するのは、「新年」(新たな心の積み重ね)が見つからない人々がいるからであろう。

 次の世代が続くような世を継続させたいものである。

 地球は急速に統合化に向かっている。グローバル化のことである。急ぐあまりに無理がある。紛争、戦争、宗教の対立、人権無視、異常気象などが混乱を起こす。そこから、ある方向に向かって加速度を増していくが、果たして人類の幸せが保障されるのだろうか。

 このような時にタイ日友好記念年を迎えたことはすばらしく、ひとしお意義がある。鎖国前から数えれば400年も前からタイとは交流があり、貿易(経済)はもとより、人的交流が続いていることを祝します。


日タイ修好120周年の夢 岩城雄次郎(タイ文学者)


「第2次世界大戦博物館」を背にする筆者

 両国の「修好宣言書」が調印されて、もう120年になる。早いものだと思いつつも、今後の日タイ両国間の友好関係を深めるためには、なすべきことがまだたくさんあると私は思う。山田長政が活躍したアユタヤ時代の昔はもとより、タイの人々にとっての日本人は、あらゆる意味で、いつの時代においても存在感の高い民族であった。

 第2次世界大戦の最中、かのインパール作戦に破れて日本軍は敗退、ビルマから続々とタイの北西部クンユワムへと逃れ込んだ、傷ついた兵士たちが現地の村人たちのお世話になり、敗戦後無事に帰国した者が多かった。が、そこで死亡した将兵は9000人にも及ぶと言われている。

 平成8年、ここクンユワムに「第2次世界大戦博物館」が建てられ、最近は少しずつ現地を訪れる人が増えてきた。昨年はメーホンソーン県が同博物館の存在を重視し、しかるべき予算を注ぎ込んで改修工事を実施。これまでは博物館の看守が一人しかいなかったが、今ではそこの地方公務員が交代で管理、休館日無しに訪問者を受け入れている。

 さて、私は本紙に「メナムの残月」を連載中、同時にこのクンユワム周辺を舞台にしたノンフィクションを仕上げるために、すでに8回に及ぶ取材を重ね、かなり多くのことを調べ上げた。

 そして、今年は記念すべき修好120周年の年、私は1人の日本人として、ここの博物館とすぐ近くにあるクンユワム中高等学校(6学年にまたがり、生徒数は1005人)で記念すべき行事を開催したら良いのでは、と思う。

 例えば、ほぼ同年齢の日本人の生徒たちやこの地に興味をもつ日本人が博物館や学校の運動場に会して、記念すべき8月15日の正午に、そこの郷土料理と日本料理を食べながら楽しく語り合う、といったことがあればなんとすばらしいことか、と。今から60年以上も前に我々の先達がお世話になったクンユワムの人々に、心からの感謝を捧げるためにも。


首なし死体、脇に女性の下着2枚
女性を巡るトラブルが原因か



頭部を切断され道路に放置されたエカシットさんの遺体

 12月17日午前2時ごろ、中部サラブリ県ノンケー郡署に、道路脇に男性の首なし死体が放置されているとの通報があった。

 死体は頭部と胴体が切断されており、それぞれ約50メートルほど離れた別の場所に遺棄されていた。また、死体の脇には女性のパンティーが2枚置かれていたほか、前部が壊れたオートバイも倒れていた。

 警察の調べで、被害者は同県出身のエカシットさん(23)と判明。被害者の兄の供述によれば、「弟は妻と離婚してから、子供を実家に預け、バンコクに働きに出ていたが、何の仕事をしているかは話そうとしなかった」という。また、週末にはサラブリ県の実家に戻り、子供の世話をしていたとのことだ。

 事件前夜、エカシットさんは友人数人とサラブリ県内の盛り場へ遊びに行っているが、誰かと揉めるようなことはなかったようだ。

 このため、警察では、帰宅途中、特定の女性をめぐり対立していた昔の知り合いとたまたま出会い、トラブルを起したのではないかとみて、被害者の過去を詳しく調べる方針だ。


実の父、娘を1年半近く強姦
元上院議員に助けを求める



事情聴取を受ける被害者のゴイちゃん(中央)

 実父に強姦された中学1年生の女子生徒(13)とその母親が、元上院議員の主宰するNGO(非政府団体)に助けを求めた。

 被害者のゴイちゃん(仮名)の供述によれば、昨年6月2日深夜、母親が寝入ったのを見届けたプラクルアン(お守り)売りの父親、スッティ容疑者(44)が寝室に入ってきて、身体を撫で回し、強姦したという。そして、「誰かに話したら殴り殺す」と脅され、その後も、寝室や物置で1週間に1度のペースで強姦が続いた。

 また、母親がアレルギー性皮膚炎であり、いったん症状が出ると、30分は浴室から出てこないことから、スッティはこの時を利用して強姦するケースも多かったという。その時、たまたま弟がいると、お金を渡して、お菓子を買いに行かせたそうだ。

 ゴイちゃんはイヤでたまらなかったが、怖かったのと、また家族がバラバラになるのを恐れて、誰にも言えずにいた。

 しかし、今年の11月17日、母親が皮膚炎を起し浴室に入ったことから、スッティ容疑者はいつものようにゴイちゃんの寝室に入ってきて、強姦。だが、このときは、母親がたまたま15分程度で浴室を出てきてしまった。

 その後、夫の姿が見えないことから、ゴイちゃんの寝室に入ったところ、下着を膝まで下げ、娘にまたがっている夫を発見。動転したスッティ容疑者は「何もしていない。娘に皮膚炎がないかどうか調べているところだ」と苦しい言い訳をした。

 しかし、母親に問い詰められたゴイちゃんが全てを打ち明けたところ、開き直った同容疑者は「お前らには何もできない。俺は大物を知っているんだ」と、とても父親とは思えない脅迫をした。

 このため、ゴイちゃんと母親は児童・女性保護団体に助けを求め、団体の代表であるモントリ元上院議員とともに12月18日、警察に訴え出ることになった。


女子大生、腕と腹部を刺される
都内ガソリンスタンド

容疑者のモンタージュスケッチを手にするシリナパさん

 12月14日午前9時30分、バンコク都内ラートプラオ通りのガソリンスタンドで強盗事件が起きたとの通報が管轄警察署に入った。

 事件現場となったのはガソリンスタンド裏手の女子トイレ。被害者は私立ランシット大学文学部2年生のシリナパさん(20)で、カッターナイフで腹部1カ所、腕2カ所を刺されたほか、鼻の上部にはあざができており、鼻血が流れていた。シリナパさんはガソリンスタンドの従業員により、事件後すぐに病院へと搬送された。

 シリナパさんの証言によれば、ATM(現金自動預払機)で1000バーツを引き出した後、セントラル・デパートに用があったので、オートバイを駐車するためガソリンスタンドに立ち寄ったという。そして、トイレで用をたして出てきたところ、身長160センチ程度の20歳前半の男が待ち伏せており、カッターを突きつけられ「金を出せ」と脅されたという。被害者によれば、いかにも覚せい剤中毒者のような様子だったという。

 そのため、すぐに金を渡して犯人の手を振り払おうとしたところ、それが相手の気にさわったらしく、腹部と腕を刺されてしまった。

 その後、犯人がその場から逃げようとしたため、大声で助けを呼んだところ、またまた相手の気にさわったようで、わざわざ引き返してくると、シリナパさんの頭をつかみ、トイレの壁に強くぶつけ、引き倒してから、その場を立ち去ったという。

 警察では、ガソリンスタンドの近くに住む覚せい剤中毒者の犯行とみて、犯人の行方を追っているところだ。