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2007年
1297号(11月19日〜11月25日)
みずほコーポレート銀行バンコック支店支店長
『清田 宗明氏』
「外国為替のプロからコーポレートバンクの海外支店長へ」
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| 1957年、熊本市生まれ。東京大学法学部81年卒、同年富士銀行入行。家族は、夫人、大学1年生の息子、高校3年生の娘。家族と話をするのが好きだが、今は単身赴任のため、毎日電話で会話する。趣味といえそうなのは旅行、ゴルフ。特に興味のある中国を含め、周辺国もなるべく多くの所を訪れてみたい。ゴルフは90台で、「こっちは上手な人が多くて困っている」と話す。弓道は二段だが今はやっていない。 |
「いくつかの海外拠点で仕事をしてきましたが、東南アジアには縁がありませんでした。バンコクには、みずほ統合の時に拠点訪問で来たくらい。だから自分が来るとは考えていなかった。それにコーポレートバンクの海外支店長を務めるのは初めてなので、当初は戸惑いも多かったです」
1981年に新卒入行した富士銀行では、主に為替取引など市場部門の現場を歩いてきた。
90年にはチューリッヒの証券現法に派遣され、休日にはスキーやワインの楽しみ方を覚えた。しかし仕事の面では、市場経験者が自分だけで日本人の部下もいない状況のなか、資金為替課長として24時間気が抜けず、為替ポジションを持って夜中も市況を追い続け、ついには円形脱毛症になるほど。
93年から96年までは一旦、市場部門から離れてロンドンの欧州部に転属。域内のビジネスプラン策定や、各拠点のスーパーバイズを任された。
再び市場部門に戻ったのは97年。本社デリバティブ業務開発部の次長として主に金利デリバティブ商品の営業とトレーディングを担当した。
99年には富士キャピタルマーケッツ香港社長に就任。主に金利デリバティブ取引をニューヨーク法人、ロンドン法人とともに3社1体でグローバル運営した。駐在中の01年にDKB
FPと先行統合し、社名もみずほキャピタルマーケッツ香港になった。
本店に戻ったのは04年。国際為替部長として、東京外国為替市場委員会の副委員長も務めた。この時、久しぶりに東京の外国為替市場を見て、次のように感じた。
「マーケットは大変に変わった。個人取引、オイルマネー、中国、ヘッジファンドがマーケットの主役になっている。人工知能など先進技術も導入され、幅広い情報力と高度な金融工学を駆使しないと、なかなか勝てなくなった。一方で、超低金利もあって円の地位が落ち、ユーロ、豪州ドル、ニュージーランドドル、ポンドの地位が上がった。中国人民元やウォン、メキシコペソなどの新興国通貨の重要性も格段に増した」
◆周辺国と一緒に発展
こんな為替の専門家だからこそ、バンコク支店長の辞令が出た時には正直戸惑いもあった。その上、日本にいたときタイでクーデターが発生し、そのイメージが残っていた。このため「バンコクに行くことに多少不安もありました」と本音を打ち明ける。
それでも4月にタイに赴任してみると、日本企業がたくさん進出して成功し、日本の仕事のやり方やノウハウが伝わっていること、また政情や社会インフラが比較的安定していることが分かった。
「ベトナム、インドへの投資ブームの一方で、タイはビジネスを規制していて、大丈夫かなとも思った。しかし爆発的な成長はなくても、相対的には魅力があり、それなりの地位を保つでしょう。周辺国とも一緒に発展していけそうです」と語る。次期政権が外資誘致に積極的になることにも期待している。
タイでの抱負については、「当行は、地場のTISCOグループと提携しており、それを生かしていきます。日系企業を中心に通常の金融サービスに加え、アドバイザリー業務、M&A、債券発行、証券化、資産管理など、多様な面でお客様のお役に立てるようにしたい。また、みずほアジアンファンドでは、イサーン(東北地域)の小中学校の運営支援や、大学生への奨学金支給を行っており、こういう地域への貢献活動も是非、積極的に続けて行きたい」と意欲的に話す。
(聞き手・構成 水谷昇 記者)
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