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2007年
1273号(6月4日〜6月10日)
泰国三井物産新社長
『山本 明夫氏(やまもと あきお)氏』
「チーム・ビルディングに取り組む」
山本 明夫 滋賀県出身、1951年生まれ。74年、京都大学経済学部卒業。同年三井物産入社。79年、イラン修業生としてテヘラン大学へ。81―84年、イラン石化事業に従事。87―92年、ドイツ駐在。99―04年、ベネルックス三井物産社長(在ベルギー・ブリュッセル)。07年4月、三井物産執行役員兼泰国三井物産社長に就任。趣味は読書(歴史書)。
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■歴史的大事件に遭遇
山本明夫氏は07年4月1日付けで、泰国三井物産社長に就任した。これまでの海外駐在経験も豊富で、「駐在する先々で、大きな事件に遭遇した」と言う。
イラン修業生としてテヘラン大学で学んでいた79年には、イラン革命が発生。その後もイラン石油化学推進部のイラン・ジャパン石油化学(IJPC)事業担当として、イラン・イラク戦争を目の当たりにした。
「当時、イラン政府と三井グループが50%ずつ出資して砂漠地帯に13の化学工場を立ち上げようとしていました。総額6千数百億円のプロジェクトです。革命前に90%程完成していたのですが、イラン・イラク戦争によって10数回爆撃を受け、三井グループにとっても大きな出来事となりました」
その後、ドイツ駐在時(87―92年)には、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツの統合に遭遇し、担当地域だった中東欧諸国が社会主義経済から市場経済体制に移行。ベルギー駐在時(99―04年)には、首都ブリュッセルに欧州委員会本部や議会があるため、ユーロ統一通貨の導入やEU拡大への進展を目の当たりにする機会を得た。
「歴史的大事件の目撃者でいられたことは、商社マンとしても個人としても、とてもエキサイティングだった」と当時を振り返る。
■まだまだ展開の余地はある
学生時代はバックパッカーだったと言う山本氏が初めてタイを訪れたのは1973年。旧ソ連、アフガニスタン、インド、ネパールなどを経由した。
「タイに入国して、ほっとした。タイ人と日本人の精神的な近さのようなものを感じましたね。産業構造、豊かさ、風景などすべてが現在とは異なっていました」
入社後も仕事のため、タイへは度々訪れていたそうだ。
「タイは97年の通貨危機後、よくやってきた。現在、暫定政権の不透明な政策運営が一時的な懸念材料となっていますが、大きく後退することはないでしょう。日本にとっての重要な製造拠点という位置づけは今後も変わらないと思う。日タイ経済連携協定(JTEPA)については、まだ発効はしていないが、大きな一歩であるとポジティブに捉えています」
三井物産にとってもタイはアジアの一大拠点となっている。
「まだまだ展開の余地はある。『事業ポートフォリオの見直し』を行い、重点地域、産業分野に人と資金を集中投入していく。また、昨年12月の東西回廊の結合や今年1月のベトナムの世界貿易機関(WTO)加盟もあり、発展軌道に乗ってきた『グレーター・メコン地域(タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー)』にも注目している。電力事業、水、物流など今後の発展を目指して、当社がやることはいろいろある。現在、アジアの経済構造自体が相互依存型・ネットワーク経済になっているため、今後はますますアジア域内での連携が必要になってくるでしょう」
山本氏は組織の長として現在、泰国三井物産のチーム・ビルディング(組織の構築)に取り組んでいる。
「働いている一人ひとりが仕事にやりがいを感じ、明日は今日より素晴らしいといった確信を持って、社員みんなが自分の仕事に取り組めるような舞台装置を作っていきたいですね。組織の一員として自分の仕事が楽しいと思えるかどうかは良好な人間関係が大切。社内のコミュニケーションがより活発化するような雰囲気作りを心掛けています」
山本氏が考える「商社マンにとって最も大事な視点」とは「歴史観」と「地球観」だと言う。生粋の商社マンであると共に、人とのコミュニケーションを何よりも重視する山本社長の経営手腕に注目が集まりそうだ。
(聞き手・構成 黒田政樹記者)
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