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2004年 コンケンの街なかで白い牛の姿を目にしなくなり、10年ほどがたつ。当然農村部でも牛の数は減っているとおもっていたら、増える傾向にあるという日本人研究者の意見をさいきん耳にした。もうすこし正確にいうと、近代化の波におされて牛も水牛も絶え滅びる方向にすすんでいるということではかならずしもなく、牛を飼育する人が増している村もあるということらしい。その理由をきいてユーカリの木をおもいだした。 地中にねむる岩塩層の影響でイサーンの土地は塩がでる。そのうえ酸化鉄(サビ)がまじる赤土のため、作物の栽培に適さない。塩害をふせぐためにユーカリを利用した土壌改良プロジェクトをかつて日本のODA(JICA)がコンケーンでおこなった。そのさいユーカリの功罪をめぐり、賛成派と反対派とのあいだで議論がかわされた。 いわく―。生命力のつよいユーカリは土地をあらし、他の植物に悪影響をあたえる。いやユーカリを有効に活用すれば、イサーンの農業支援につながる、など。 ODA側と反ODA側の意見ともある面においては正しい。たしかにユーカリをうえた土地はほかの作物がそだちにくいと同時に、ユーカリをうまく利用すれば塩をおさえることも可能だ。だがそういったユーカリそのものの善し悪しを論じるだけでは事の本質をみうしなう危険性がある。 ユーカリがイサーンにもたらした最大の問題点は、ユーカリをイサーンに導入したことで拝金主義の思想を村人たちに日本の側がうえつけてしまった点であることをわたしはつよく主張する。村人たちは、ユーカリで土壌を改善するわけでも、森林保全をめざすわけでもなく、生長のはやいこの樹木を換金作物としてとらえてしまった。金のなる木としてユーカリにとびついたのである。自足自給を原則とし、現金を必要としないで生きてきたイサーンの人たちがお金に固執するという異常な状態を日本政府の支援はうみだした。くわえて、ユーカリの林をイサーンでひんぱんに見かけるほどおおいのにもかかわらず、ユーカリの木によって塩害がおおきく改善されたという実例を耳目にしたことはない。 ここで注釈をふたつ。コンケンのばあいにかぎっていえば、多大な予算(国民の税金)とながい年月をかけておこなったのだから、おおきくしかも至るところでユーカリの効果があらわれていて当然である。ユーカリの恩恵をうけている村が一部分ではなく、一般的でなければ意味がない。また村人のなかにはユーカリを利用して有機肥料や虫よけの薬をつくるなどしている。その点ではユーカリも役にたっているといえよう。だがそれがODAの意図したところではかなく、ODAを擁護する材料とはなりえない。 さて農村部でいま牛が増えつつあると冒頭でかいた。理由はユーカリのばあいとおなじだ。さきの日本人研究者によると、牛の糞を肥料等につかうためではなく、金にかえるために牛を飼育する村人たちがあらわれるようになった。つまり換金動物として牛をとらえているのである。 詳細かつ正確な事実は日本人研究者のこんごの調査を待つほかはない。だがイサーンの現状と照らし合わせてみると、「現金収入のための牛」がふえたとしても不思議ではないとわたしはおもう。牛を換金動物としてとらえる話はけっして荒唐無稽ではない。ユーカリや牛のみならず、拝金主義の思想はこれからもますますイサーンにふかく浸透してゆくであろう。
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