2003年
1091号(12月8日〜12月14日)
(40)火打石/文・写真 三輪隆


「野生」のムラブリ

 30分ほどいるうちに硬かったムラブリたちの表情がいくぶん和らいできたような気がした。最初にこの場所にたどりついたときの、あの凍てつくような緊張した雰囲気、あの静寂はいったいなんだったのだろう。何に怯えていたのだろう。

 そこここでムラブリ同士の会話も聞こえてくるようになった。

 ヤマイモの試食会に続いてムラブリたちは、火打石をつかって火をおこしはじめた。これは以前にもアイパーたちに見せてもらったことがある。火打石、綿のような繊維のかたまり、乾燥しきった枯れ葉という「火おこしキット」の道具はあらかじめ用意してあったかのようにすぐに取り出され、私たちの目の前で迅速に実演してくれた。

 ひとりが左手に石と綿の繊維をもち、右手で鉈の刃の一部らしきものをもって石に打ちつけると、鮮やかな火花が飛び、その火花はたちまち綿に燃え移り、そこに、抜かりなく枯葉を手のひらに持っていたもうひとりの人が待っていて、枯葉を差し出す。1分もたたないうちに、すばらしい連携プレーというか、流れ作業で火が起こされ、枯葉が燃え上がった。あまりにも手際がよすぎて、なんだかかえってわざとらしく不自然な感じさえするほどだ。

 そればかりか彼らは、チャロン氏の指示があったのか、木登りや、竹細工の実演や、歌や踊りまでも披露してくれた。私たちとしてはそういうものよりも、彼らと直接話がしたかったのだが、チャロン氏はまるで私たちが彼らと会話するのを妨げるかのように、次から次へとムラブリたちに演目を指図して、その「石器時代」の生活ぶりを実演してくれたのだった。

 ムラブリの歌を聴きながら、チャロン氏は言った。

 「ムラブリは歌と踊りが大好きなんだ。歌詞はムラブリ語の中にモン語やタイ語がときどきちゃんぽんになっている。メロディはモン族やラオ族のものを借りている」

 とすれば、歌を歌う習慣は、こうした異民族と頻繁に接触するようになって覚えた、比較的新しいものであろう。ムラブリたちの歌は、たとえタイ語だったとしても、イサーン訛りが強く、ほとんどその場では理解できないものだった。

 「チャロンさん、彼らはどんなことを歌っているのですか」

 「ムラブリの生活をそのまま歌っているのさ。

 私たちムラブリは、森の生活者。
 芋を掘り、木の実を採り、果物を食べて生きている。
 田や畑はもたず、大地は耕さない。
 兄弟が訪ねてくれば、気前よく食べ物をわけてやる。
 今は森に食べ物がなくなって大変だ。
 しょうがないからタイ人やモン族の畑を手伝ってる。
 でも分け前は少なくて、生活は一向によくならない。
 ムラブリは喧嘩なんてしないさ。
 ムラブリは平和な暮らしが好きなのさ。
 危険が迫れば逃げるだけ。

 そんな内容の歌さ」

 一通りの実演会がおわると、私はふたたびムラブリたちの小屋に行って、ムラブリに話しかけたりした。しかしチャロン氏は私たちに「もうそろそろいいだろう。日が暮れてきたぞ」とつぶやいた。

 「このムラブリたちは、夜は絶対に他民族を近づけないんだ。暗くなれば去らなければならない」

 この点ではチャロン氏の言っていることは真実味があった。

 私たちもさまざまな場所でムラブリと出会ったが、日が暮れ始めると彼らはそわそわしはじめ、早く自分の家に帰るように私たちに促した。

 チャロン氏がいらだっているように思えたので、しかたなく私は撮影機材の後片付けをはじめた。しかし川瀬さんはまだしぶとく、マイペースで撮影を続けている。さすがプロだ。

 枝にでも足を引っ掛けたのだろうか、脛から血を流しているムラブリの子供がバンドの中にいた。チャロン氏は消毒液と軟膏を塗ってやっていた。

 やはりチャロン氏は「ムラブリの父」なのだろうか。