2003年
1082号(10月6〜12日)
(31)ホイホム/文・三輪隆

 家から出てきた男は話に聞いていたブンユン氏その人ではなく、カムという名のドイツ人牧師だった。カム氏は3年前からここに住み、ムラブリとともに暮らしているという。もちろん「カム」はタイ名であろうが、本名は尋ねなかった。ブンユン氏は町へ出かけていて、明日にならないと戻らないという。

 最初、この眼鏡をかけた40代前半ぐらいの、やや神経質そうなドイツ人は、私たちの来訪をいくらか警戒していたようだ。無理もない。ひとりはそこそこ流暢なタイ語を話し、ぱっと見にはタイ人と見分けがつかない日焼けした髭面の日本人、ひとりはカラテで鍛えたごつい体格に無精髭を蓄えたバックパッカー風の男、もうひとりはやたら肌の白い小太りの男でフリーのテレビ・ディレクター。3人ともムラブリ・フリークを自認している。怪しくないわけがない。

 ここには、6家族29人のムラブリが暮らしていた。大人が9人、子供が20人だ。

 ブンユン氏とともに、ムラブリの生活の面倒を見ながら、病気になったときの手当て、生活を向上させるための指導、そしてタイ語や英語を子供たちに教えていると、カム氏はいう。ちょうど数人の若者たちがカム氏の家に遊びに来ていた。モン・クメール系独特の精悍な顔立ちで、確かにムラブリ族だ。しかし、ホイユアクやボーホエで見たムラブリ族とは印象がかなり違っていた。とても清潔で、こざっぱりした身なりをしており、さわやかな好青年という感じで、血色がよく、体格も立派で、表情にも知性と活気が感じられた。

 みな、さわやかな笑顔で私たちに「サワディー・クラップ」と挨拶し、目が生き生きしていた。ボーホエ村で出会ったムラブリたちの生気のない表情とは対照的だった。

 ちょうどカム氏の奥さんが、シャワー室で小さな子供たちに水浴びをさせているところだった。

 「ムラブリたちは水を恐れ、水浴びをしませんでしたが、こうして子供の頃から教えてあげれば、水浴びが好きになるんです」

 ムラブリたちは、ブンユン氏やカム氏の家から数十メートルはなれた丘の上にいた。カム氏に案内されて、ムラブリの集落に行った。数軒のあばら家が建っていた。それでも、かつてボーホエ村やホイユアク村で見た、バナナの草で葺いたあの風除けのような家と比べるとかなり立派なつくりである。もちろんアカ族やモン族の家ほどの風格も構造の精緻さもないが、彼らがここに定住しているらしいことを示すには十分だった。

 夕方になると、ムラブリの大人たちが帰ってきた。女たちは水を汲みに行っていたらしい。サンサニーという名の若い女と少女たちが、水の入った竹が数本入った籠を背負って坂道を登ってきた。

 大人たちも、カムの家で水浴びをさせてもらっていた子供たちほど清潔ではなかったが、それでもボーホエ村のコーやクァイたちの10倍ぐらいこざっぱりしていた。笑顔に屈託がなかった。これまでに見たムラブリたちの笑顔は、もう少し弱々しいものだった。

 プアという中年の男が穏やかで友好的な笑顔を浮かべて近づいてきた。ボーホエのムラブリたちよりはるかに人になれているという感じがした。

 彼は弟のヨードという男と一緒にケーンを吹いてくれた。なかなかの腕前だった。ケーンはタイ人から譲ってもらったのだという。演奏が終わると私たちは拍手した。

 ヨードは木製のパイプをもっており、それを買ってくれないかと言ってきた。1個50バーツだという。木の根っこを小刀で削り、そこにやけ火箸か何かで焦げ目をつけて幾何学模様を施している。髭のようにもじゃもじゃした根の部分もそのままついていて、重くてあまり実用向きとはいえないものの、置物としてみればそれなりに味わいのあるものだ。女たちは草の繊維で編んだニットのバッグを作っていた。

 「彼らはこれを売って生活の足しにしているのです。もし気に入ったら買ってやってください」

 カムさんが言う。私はパイプを2個買ってやった。ヨードはとてもうれしそうな顔で微笑んだ。