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2003年 マイはインタビューの途中で、突然歌を歌いだした。 それは、コーが歌ってきかせてくれたのと同じようなモーラム風の節まわしで、歌詞だけが次々と変わりながら、延々とおなじメロディが続く長い即興の歌だった。 イサーン方言のタイ語で、しかもかなりのムラブリ訛りと思われる発音なので、あまり聞き取ることができなかったが、森の中で食べ物を探して苦闘し、またあるときはモン族やタイ族に雇われて重労働を強いられたりと、虐げられてきたムラブリの族の悲惨な運命と過酷な生活ぶりが歌われているようだった。 「マイは、とても歌がうまいんだね」 そういうと、マイは顔を赤らめ、「そうでもないわ、適当に思いついて歌ってるだけ」と謙遜した。 重い内容の歌を、自分に言い聞かせるように淡々と歌いつづけるマイという女に、私はなぜか強く心惹かれるものがあった。ムラブリ族でありながら幼くしてムラブリ族の社会から切り離され、しかしモン族の社会にも、そしてタイ族の社会にもどこか違和感をもち、なじむことができないでいる彼女の、行き場のなさというか、憂いのようなものを感じた。 夕方になって、マイの作業小屋に2人の思いがけない訪問客が現われた。ムラブリ族の男女がマイを訪ねてやってきたのである。 男性のほうは、30歳ぐらいだろうか、不運にもなんらかの障害をもって生まれてきたのだろうか、頭の鉢が異様に大きく、顔の左右は明らかに非対称で、しかもかなりの斜視だった。会話能力にも多少の障害があるようだ。誤解を恐れず、この男がかもしだす全体の雰囲気というかイメージをひとことでいえば、プロボクサーののちに俳優に転進した故・たこ八郎さんのそれに似ていた。話す言葉は稚拙だが、その表情や立ち居振舞いはイノセントで、天使のようなやさしさが漂っていた。女のほうは、年齢は30代から40歳前半ぐらいだろうか、色白で、髪の毛がやや赤みがかっていて、薄汚れたTシャツと赤いジャージをはいていた。こちらはそのへんのタイ族かモン族の中年のおばさんといった感じだった。ムラブリ族独特の野性味というものは感じられなかった。2人の関係は、夫婦なのだろうか、兄と妹なのか、それとも友人なのか。 彼らの写真を撮っていると、突然たこ八郎似の男が、言葉にもならない喚声をあげて、太陽が沈み始めた西の山の方角を指差した。距離にして200メートルか、300メートルほどだろうか、私たちがいる畑からそう遠くないその小高い丘全体は、焼畑のため丸裸で、緩やかな稜線がくっきりと見えていた。その頂上に近いところに、大きな黒い影がたたずんでいた。それはずんぐりとした大きな背中に、まるでライオンのたてがみのような毛の生えた、巨大な野生の豚だった。体長は2メートル近くあるかに見えた。私もその姿を見て息を呑んだ。こんな大きな野豚は見たことがなかった。 「主(ぬし)だ」 とモン族の老人がつぶやいた。 このあたりにときどき出没するが、賢くて、モン族の熟練した猟師でさえも、何度挑戦してもこの野豚をしとめることはできないでいるという。 そこにいたモン族の夫婦もムラブリの人たちも、しばし呆然としてその「主」を眺めていた。 私はたこ八郎似の男に聞いた。 「おい、あんたたち、なぜあいつをしとめに行かない。こんなにすぐ近くまで野生の豚が姿を現したっていうのに、手をこまねいて眺めているだけなの? ああいうのをムラブリは狩猟するんだろ。いきなよ、あいつをつかまえに。しとめたら豚肉、腹いっぱい食べられるじゃないか」 男は滅相もないという感じでかぶりを振った。 「主は絶対に捕まえることはできないよ。逆にやつに殺される。やつは人間より頭がいいんだ」 ムラブリ族は民族学的には狩猟採集民といわれているが、コー一家やこの男を見た限りでは、体格的にも性格的にも、とうてい狩猟などできそうな屈強な感じには見えなかった。臆病で、野豚やイノシシに立ち向かっていけるような度胸もうでっぷしもなさそうだった。イモを掘ったり、小川で蟹や小魚を捕ったり、バナナをちぎったりするほうが似合っているという感じだ。 彼らの雰囲気は、槍をもつにはあまりにもやさしすぎるのだ。 「主」はそれから10分間ほども悠々と、何者にも動じる気配なく、沈む夕日を背に受けながら、逃げもせず泰然とその稜線にたたずんでいた。 やがて、夕日があたりを黄金色に照らし出した。倉田君も、ムラブリの人々も、モン族の老夫婦も、畑のすべてのものを。巨大で真っ赤な夕日の中央で「主」のシルエットがはっきりと浮かび上がった。まったく堂々とした姿だった。 私は金縛りにあったように、動くことができず、カメラさえ向けることができなかった。夢を見ているようだった。映画の1シーンを見ているようでもあった。 やがて、主はゆっくりと山の向こうに姿を消した。 なにかとてつもない崇高なものに立ち会ってしまった、という気がした。 野豚だけではなかった。そのときそこに居合わせたムラブリ族の人々すべてが、私には神々しく見えたのだ。 今思えば、たこ八郎と赤毛の女は、本当に、いずこからともなく突然現れたのだった。そして、私たちの前で、突然、阿波踊りのように手をくねらせて、奇妙なダンスを踊りはじめた。それにあわせて8歳になるマイの娘も一緒に踊った。その3人の姿は、まるで放浪する旅芸人の一座といった雰囲気だった。そしてしばらくすると男女は、いずこともなく去っていった。 おそらくは旅行者である私と倉田君のためにせっかくサービス精神を発揮して踊ってくれたのだから、なにかお礼でもあげればよかったが、そう思ったときにはすでに彼らの姿はなかった。 たった1時間ぐらいのできごとだったが、その印象はあまりも強烈で、彼らが去ったあと、しばらく呆然とし、涙があふれてきた。なにかこの世のものならぬ風景に立ち会っているような気がしたのだ。 そして、私と倉田君はその後十年をかけて、執念のごとく、タイのほとんどすべてのムラブリ族といっていいほど数多くのムラブリの人たちに会うことになるが、このふたりの姿だけは、ついに2度と目撃することがいったい彼らはどこへ消えてしまったのか。もうこの世にはいないのだろうか。そう考えると、もっといろんなことを聞き、話しておけばよかったと思う。
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