第三回:カオサン通りで旅行代理店を経営する
森 浩一 氏
【年齢】47歳
【職業】旅行代理店経営
「可能な限りお客様のわがままを聞くようにしている」
「可能な限りお客様のわがままを聞くようにしている」と話すのは、バックパッカーで賑わうカオサン通りで旅行代理店を経営する森浩一氏だ。日本以外の国で仕事をしたかったという同氏が初めてタイを訪れたのは九三年。観光旅行ではなく、タイでのビジネスチャンスを模索するためだった。
「タイにはそれほど興味はなかった」というが、日本人が多いということは知っていたため、現地で日本人が何をしているかを自分の目で確かめ、とにかく働いてみようと思った。
そのため、英字新聞の求人欄で職探しをしたが日本人の求人はなく、「タイで生活するとしたら、自分で何かをしないといけない」と実感。また当時はタイ語がまったく話せなかったことから、「自分にできるのは、日本語を生かせる仕事」と考え、約一年間、少ない資本でできるビジネスを探し歩いた。しかしこの時には、旅行代理店経営は選択肢にもなかった。なおこの年、現夫人(タイ人)と知り合うことになる。
翌九四年、日本行きのチケットを購入するためカオサン通りのこじんまりした旅行代理店に入った時のことだ。まったく客がおらず、暇そうにしている「オーナー」のタイ人と話し込むなか、「ここで手伝ってみないか」と誘われた。まだ、特にやりたいことが見つかっていなかったため、とりあえずこの誘いを受けることにした。報酬は歩合制だったという。
しかしその後、「オーナー」と名乗ったタイ人が、実は単なる従業員であることが判明。その直後、このタイ人が独立することになり、森氏もわずかながら出資、経営に参加することとなった。九四年暮れのことだ。
日本人応対の代理店ということで日本人の顧客も増え、これに気を良くした、タイ人オーナーは会社に顔を出さず、飲み歩く始末。「一人で仕事をしているのと同じだった」と振り返る。しかもそればかりか、「経費がかかって儲けがない」と愚痴をこぼし、給金も滞りがちだった。これには森氏の夫人が激怒、わずかな期間で仲たがいすることになった。
しかし「捨てる神あれば拾う神あり」で、すぐにタイ人パートナーが見つかり、新たに旅行代理店「MPツアー」を立ち上げることになる。滑り出しはよかったものの、そうそううまい話はないようで、結局はこのタイ人もまったく仕事に出てこないにもかかわらず利益の半分を要求。これに夫人が再び激怒し、このタイ人パートナーに決別を宣言。九五年五月、森夫妻の手でMPツアーを〃新装開店〃することになった。
オーナーにはなったものの、「『もうダメかな』と思うこともしばしばだった」ようだ。その原因のひとつが夫人の身内の無心だったことは何ともタイらしい。「タイ人は貯蓄より消費が得意」と笑う森氏だが、夫人の両親や兄弟は金銭的トラブルが発生する度に援助を求めてきたそうだ。その度に、「何とか助けてやろう」と男気を出したところ、会社の経営状況が悪化、資金繰りに四苦八苦することとなってしまった。
それでも三年が経つ頃には、「これで何とか食っていける」という〃勘違い〃ができるほどにはなったというが、その裏には、地道な顧客サービス努力があった。チケット販売だけでなく、旅行者に寺院やショッピングセンターの場所を聞かれると、地図をコピー、名称をタイ語で書いてあげたりもした。そのため、「あそこに行けばすべて分かる」との評判が旅行者の間に流れ、常連が百人を超えるようになる。「学生の時に世話をした旅行者が社会人になり再び訪ねて来てお礼をいわれると、本当にこの商売をやってきてよかったと感じる」と顔を綻ばす。
もともとは飲食店業に関心のあった森氏は十月上旬、都内バングランプー地区にタイスキ・レストランもオープンする。実は同じ場所でタイ料理店を経営していたのだが、日本人を初め外国人のみを対象としたことが「大きな勘違い」となり、結局は二年で店を閉めることになってしまった。そのため、「タイでビジネスをするにはタイの人に歓迎してもらえないと長続きしない」と痛感。この反省を生かして、今度はタイ人をターゲットとすることにしたという。
休日は年に四日、一日の労働時間は平均十二時間に及ぶ。「働くことが好きなわけではない。ただ、実現させたい夢があるため休みたくないだけ」と話すが、その夢のひとつが、自分自身が大工となり一軒家を建てることだ。そして敷地では野菜や花を栽培、さらにはプライベート・プールも持ちたいという。
「旅行代理店は私一代で終わり」と言い切る森氏。五十五才で会社を閉めるか、「真面目なタイ長期滞在希望者」に譲る予定というが、旅行者の相談を真剣に受け答えするその横顔には、この仕事への愛着の深さが感じとれた。
(倉林義仁記者)
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