総 合

血の水曜日事件から四半世紀


「暴君」と呼ばれ、不正蓄財の限りをつくした後に失脚、国外に逃亡したタノム元首相の帰国に反対して、国立タマサート大学内で集会を開いていた学生らに発砲、多くの死傷者を出した「血の日曜日事件(十月六日事件)」(七六年)。民主化運動への最悪の弾圧ともいえるこの事件の後、紆余曲折はあったものの、九七年にはそれまでで最も民主的な憲法が制定されるなど、タイ民主化は一応の進展をみせている。

 血の水曜日事件から二十五年たった今年は、民主化の英霊をしのぶため、さまざまなイベントが準備されている。




[BANGKOK SHUHO]