活躍する企業群像---
ミクロの視点
プラスチック形成から塗装、印刷、完成品組み立てまで一貫して受託
高橋プラスチックス
電機メーカーのような工場
高橋輝好社長が工場内をかっ歩すると、手の空いている従業員が合掌をしてタイ風の挨拶をする。そのまなざしには畏敬の念が伺って取れる。タイの地場企業でも経営者が製造現場に出ることは一般的になってきたが、工場のことを隅から隅まで知り尽くし、その改善を自ら現場で陣頭指揮する社長というのは珍しい。約二ヘクタールという広い工場内は複数のセクションに細かく分かれ、部外者には迷路のようであるが、創業から十四年、手塩にかけて育ててきた高橋氏にとっては自宅のようなものだ。
高橋プラスティックスの工場を見学していると、まるで電機メーカーの組み立て工場にいるような錯覚をする。あるセクションでは整然と並べられた屋台形の生産ラインで各従業員が百点近くある部品を手早く扱い、OA機器のコンポーネントを組み立てている。
高橋氏は工場を歩きながら「物作りで重要なことは従業員にやり甲斐をもたせることです。押しつけではやる気が出ません。だから物作りの楽しさを感じられる屋台方式を取り入れました。賃金も仕事をする人ほど良くなる成果主義です。定期的に各種の表彰も行っています」と説明する。
工場内には従業員の顔写真とその横に複数の数値が並ぶボードが掲示されている。これは従業員の勤務態度を数値評価したもので、一目でその優劣がわかる。厳しくはあるが、人事の透明性という面では完璧だ。優秀な従業員のやる気を誘い、そうでない従業員の賃金などに対する不満を抑える効果があるだろう。
高橋プラスチックスは、プラスチック形成から塗装、印刷、完成品の組み立てまで一貫して請け負える企業としてタイでは最大規模となっている。同社の傑出したところは技術面でも最先端にあることだ。高橋氏は、一九九五年に操業を開始した同社にとって三件目となったタイ東北部コラートの工場をビデオで紹介しながら、「この工場に我が社のノウハウが集約されています。それを一目見ようと視察の申し込みが絶えません」と顔を綻ばせる。同工場には精密部品組み立て用のクリーンルームも設置されている。
シンガポールで磨いた経営の総合力
タイには八〇年代後半から日本企業の進出が急増。日本帰国の辞令が出たのを機に、会社を飛び出して現地で起業する日本人が少なくない。タイは日本や欧米ほど競争が厳しくない上に、物価が安くて初期投資を抑えることができるため、容易に起業を考える日本人が少なくない。しかし実際にはタイでも競争は厳しく、ほとんどが敗退する。そのような中にあって、製造業では高橋氏が最も成功した日本人起業家と言える。高橋プラスチックスを初めとして三社を創業し、今では高橋グループを標榜。昨年の連結売上は前年比二五%増の三十億バーツ、連結従業員数は二千百人に及ぶ。タイを好きになり、現地で起業したい日本人にとっては羨望の的だろう。
「日本人にはタイというと途上国というイメージがすぐ浮かび、駐在員の中にはタイ人を見下す人が少なくありません。それでは駄目ですね。一緒に仕事をするという気持ちが必要です。そして自分が先頭に立って働き、背中を見せながら現地の人を育てる。以前、賃上げを求めて従業員がストをしたことがありましたが、この時は一切それを認めませんでした。それでも従業員はもどってきました。それは僕が嘘をつかず、正面から挑んだからでしょう。従業員のことを自分の息子や娘と思って接しています」
創業時にはたった二人で日本語の分からない二百人の従業員を相手に身振り手振りで指導した。それでも二ヶ月目でラインを稼働、三ヶ月目で二十四時間体制とした。それまでシンガポールで日系プラスチック成型企業の現地法人社長として九年間勤め、一工場の経営を立て直し、新たに二工場を立ち上げた経験が生きたのだ。生産管理をベースに人事、財務、営業まで経営全体を統括する能力を身に付けた。
高橋氏は「シンガポールでは親会社からのきつい要求に応えるため随分と苦労しましたが、それが独立のための財産になりました」と当時を振り返る。タイでの起業の合弁相手となった日本の商社のイナバタ産業とタイのプラスチック形成企業スリタイスーパーウェアとの関係もシンガポール時代に築いた。
ただ、タイでの起業が気軽だった訳ではない。資金は退職金に加えて日本のマンションを売り払って調達した。会社を辞めてからわかったことだが、その時、妻には第一子が宿っていた。
「四十才を過ぎたら扶養家族の負担が増えるので、その前にと三十九才で独立しました。しかし後ろを向けば崖っぷしです。信念をもってやるしかありませんでした。中途半端な気持ちなら失敗していたかも知れません」
企業が規模を拡大する過程は何段階かに分かれている。創業時には経営者の信念と独自の努力があればいい。だが、その先は従業員の自主的な働きが重要になるだろう。小さなプラスチック成型工場が、現在の規模に成長できたのは、高橋氏と従業員の良好な関係があったからだ。
「経営者たる者、自分についてくる従業員を幸せにしなければなりません。だから最初から一緒にやってきた四人の日本人社員に会社の株を分けました。そろそろタイ人社員にも分ける時がきたと思っている」
起業時に生まれた一人娘が十四才になる。日本人起業家の多くが会社を親族に継がせたいというが、この点でも高橋氏は達観している。
「娘に継がせるつもりはありません。二社は日本人に、一社はタイ人に継がせるつもりです」
これだけ成功している会社なので証券会社から株式上場の打診が絶えない。だが、高橋氏はそれを断り続けてきた。それは株式市場が低迷しているという消極的な理由では無い。 「プラスチック形成だけでは事業が不安定でせっかく投資してくれた株主の期待を裏切ってしまうかもしれません。だから経営を安定させるため、もうひとつ別の事業を立ち上げて収入源を二本立てにしたい。それから上場しても遅くは無いでしょう。新事業が何かは今は具体的なことを公表できませんが、既にその準備に入っています」
高橋氏に経営を急ぐ様子はない。これまで新規事業のため米国市場の丹念な視察を繰り返してきたが、あくまで慎重だ。その慎重さが経営を着実な成長に導いている。
(聞き手・構成 水谷昇 記者)
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