経 済

通貨危機から4年

タイ経済低迷の原因を探る(5)


始まったばかりの近代化

 一九九二年四月、前年にクーデターで誕生した軍事傀儡政権の首相に、クーデター首謀者であったスチンダー将軍が就任したことから、国民の反発が高まりバンコクでは数十万人規模のデモが繰り返されるようになった。そして五月十七日未明、デモ隊の暴徒化を恐れた軍部が発砲し、三日間で数百人の死者が出るという大惨事へと発展した。これを収めたのはプミポン国王で、その年の九月にはアナン暫定政権下に新選挙が実施された。あれから現在まで、まだ十年と経ていない。

 タイは東南アジアでは民主主義の進んだ国と言われる。しかし軍部の圧力を廃した形の民主主義が実現したのは九二年の流血事件以後のことである。それまでは表に裏に軍部が政治力を発揮し、首相の椅子も軍部最高幹部の指定席だった。タイの民主主義の歩みは緩慢なもので、つい最近まで「半分の民主化」でしかなかったのだ。

 一方、経済の枠組みについて見ればタイは自由経済国であり、アジアでは中国、インドシナ三国(ベトナム、カンボジア、ラオス)、ミャンマーといった共産主義国に対する西側の盾としての役割を担ってきた。だが、それによってタイ経済が近代化されてきた訳ではない。自由経済とはいっても、それは伝統的な利権を持つものとその地縁、血縁者が法を超越して利益を上げるという旧態依然としたものだった。

 八〇年代後半から円高によって日本・アジアNIES(新興工業経済群)からの投資が急増し、経済規模は急拡大した。これによって投資や金融面での緩和が行われたが、それは外国投資を引きつけるためのものであり、経済的なルールや慣習の近代化は取り残された。それが大きく変わったのは九七年の通貨危機以後といえる。タイ経済の本格的な近代化の歴史はわずか四年ほどでしかないということだ。タイの民主主義と自由経済の発展の歴史を鑑みると、通貨危機後の変化は著しい。

通貨危機が新憲法の神風

 八月三日に憲法裁判所がタクシン首相の資産隠匿疑惑に無罪判決を下した。これに対して民主派知識人や憲法学者、先進国出身外国人らの多くは失望した。正直なところ筆者も「無罪」のニュースを聞いて耳を疑った。日本の日刊新聞に至ってはどこも「タイ国民は憲法判断より政治的判断を優先させた」との論調で、タイの民主化の後退を強調した。最近の民主化の流れから見れば、今回の判決は確かに後退といえる。だが、タイの民主化が七〇年代前半に始まり、国民の血を伴いながら一進一退を繰り返してきたことを考えれば、今回の裁判でさえ、タイの民主化の着実な発展を物語っているのである。

 タクシン首相の資産隠匿裁判は九七年十月憲法に照らして行われた。この憲法は九二年の流血事件の反省に立ってアナン元首相を中心に憲法学者らが草起したもので、理想的な民主憲法と評される。内容的には地方分権、上院公選制と権限強化、下院小選挙区比例混合制、選挙管理制度強化、政治公職者資産公開などタイの政治を根本的に変革しうる斬新な項目で埋められている。

 このような斬新な憲法に対して既得権で甘い汁を吸っていた多くの政治家が賛同するはずはなく、九六年当時の状況であれば、大幅な修正によって理念を骨抜きにされるか、そのまま廃案となってしまったであろう。ところが、新憲法にとって通貨危機が神風となった。バーツ相場フロート化で通貨・金融危機を招いたチャワリット政権に対して国民は日増しに不信感を募らせていた。新憲法の国会審議はその通貨危機の渦中にあり、それを成立させなければチャワリット政権への反感が爆発しそうな状況となっていた。このため、本来は右派と言えそうなチャワリット政権にもかかわらず新憲法は大幅な修正なく成立したのである。正常なときなら民主党政権でさえ今の憲法は成立しなかったかもしれない。

後退していない民主化

 首相であろうとも、資産内容の公開を偽っただけで五年間公職を追放されるというのは、極めて厳しい規則だ。それでも、すでにサナン元内務相・民主党幹事長を初め複数の閣僚・国会議員が公職を追放されている。タイの政治史の中で、有力者に対して重罪とは言えない問題で、これほど厳しい措置がとられたことがあっただろうか。上院・下院選挙も有力者が軒並み選挙違反となり、その多くが落選した。タイの新憲法は九七年十月の布告以来、実に厳格に、そして大切に運用されているのである。

 新憲法にとっての「不幸」は、施行された早々にして実力首相の資産隠匿疑惑という困難な問題にぶつかってしまったことだ。明らかになっている事実からすれば、法律の素人でさえタクシン首相の無罪判決は納得しがたい。しかしその無罪判決に対して「タイの民主化は後退した」というのは短絡的すぎる。

 今回の裁判で注目すべきことは、タクシン首相ほどの実力者ですら国民の前で「まな板」に上がらなければならなかったということだ。タクシン首相率いる愛国党は総選挙でタイの政治史でも極めてまれな過半数議席を獲得。また民主党の票田である南部を除くと、全国的な支持を集めた。選挙では既に資産隠匿疑惑が明らかになっていたが、国民はそれを承知で投票した。

 そのような首相の進退が憲法裁判所の判断に委ねられたのである。これはタイの民主化の歴史から見れば画期的なことだ。仮に巷間の噂のように裁判官が巨額の賄賂で買収されていたとしても、それはその裁判官の個人的な道徳心の問題であって、新憲法の理念そのものが歪められたとは言い切れない。今後、民主党関係者を中心に噂される裁判官の素行調査が続けられるであろう。この意味で今回の裁判はまだ終わっておらず、特に次の選挙の愛国党攻撃材料とされる可能性もある。

着実に強化されている法

 次に自由経済のルールと慣習はどう変わったか。これは通貨危機後の経済再建のため国際通貨基金が指導したことで急速に近代化された。もちろんそれは完璧では無い。だが、一人当たりの国内総生産が中進国である韓国の五分の一程度でしかないタイにとって、現在のルールと慣習は及第点と言えないだろうか。世界第二位の経済大国である日本ですら、未だにグローバル標準を満たしているとは言い難い。

 見誤ってはならないことは、ルールの面では相当に近代化されているということだ。現状では経験と人材不足からその運用が追いついていないが、そのギャップも時間とともに縮小していくだろう。

 例えば、九九年三月に改定された破産法は当初その効果が理解されず、利用者が少なかった。しかし徐々に利用者が増え、九九年六月から今年六月までに中央破産裁判所に持ち込まれた訴訟は千九百十二件(資産総額千七百四十六億バーツ)。この内、千五百九十四件(同千三百六十二億バーツ)の裁判が終了している。

 タイ経済のルールと慣習が近代化されつつあるということに気付かないと、外国企業も後から余分なコストを支払わなければならないことになる。これは特にルールに甘い日本企業が直面するケースが多い。通貨危機直後には手荷物通関で無関税で持ち込んでいた部品・材料に数年分の追徴金が課せられ、数百万バーツを支払った企業が少なくなかった。その後、タイとは別に日本に振り込まれている給与やその他手当てへの所得税が追徴され、これは大手企業では数千万バーツに及んだ。最近では海賊版コンピューターソフトを利用していた日系企業が国際ソフトウェア協会に著作権法違反で訴えられ、百万バーツの賠償金を支払っている。

 通貨危機から四年、いまだにタイの景気は低迷しているものの、民主化、自由経済のルール・慣習の近代化は着実に進められている。 

(水谷 昇 記者)



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