"サワッディ―クラップ"
新任ごあいさつ
野田さんは技術者出身だ。大学では繊維工学を専攻した。一九六八年に倉敷紡績に入社以来、綿紡績の糸の製造にずっと関わって来た。七五年から二年間駐在したインドネシアでは新工場の立ち上げに尽力。日本に帰国して技術関連の部署をいくつか経験した後、九六年八月から香川県にある観音寺工場長として赴任。同年十二月には丸亀工場長を兼任した。その後、大阪本社の技術部長を経て今年四月、泰倉紡有限公司及びサイアムクラボウの社長としてタイに赴任した。泰倉紡としては初めての技術畑出身の社長だ。
部品磨きとゴルフ
七五年にインドネシアで新工場を立ち上げることになった時、初め野田さんは日本から紡績機械を輸送する際の解体・梱包を命じられた。機械を分解して防錆処置を施し、しっかりと梱包した上でインドネシアに送った。この時はまさか自分がインドネシアで工場の立ち上げに携わることになるとは思っていなかったと言う。ところが実際は野田さんを含む八名の社員が現場の立ち上げ要員としてインドネシアに赴任することになり、自分が送った機械を自分で受け取り組み上げることになった。しかし、スムーズに進むはずだったインドネシアでの機械の組み上げは予想もしない事態で難航した。
「当時のインドネシアの通関のシステムは相当遅れていて、機械は雨季が過ぎるまで半年ほど、野晒しのまま港に放置されたんです。しっかり梱包したつもりでしたが、長期間の放置で雨が沁み込み、すっかり機械が錆びてしまいました」。
このため、野田さんは先ず現地の労働者を大量に雇い、機械の錆びを落とす作業から始めなくてはならなかった。部品ごとに防錆剤を溶剤で溶かし、ひとつひとつ手作業で磨いて行く。一口に機械一台と言っても一台の大きさは小部屋一部屋分ほどの容積があり、一台を磨くのに一週間はかかった。全部で二十台以上もあったので、全部の錆びを落とすのに半年近くはかかったことになる。全てを新品同様に磨き上げ、現地に視察に訪れた本社の重役から「おう、キレイになっているな」と言われた時はとてもうれしかったと語る。
インドネシアでの休日はもっぱらゴルフだった。当時の工場長が非常にゴルフ好きで、野田さんたちも三十代と若かったため、毎週日曜日は一日十二時間ゴルフをした。朝の六時にゴルフ場に集合し、日没までひたすらクラブを振っていた。
「これでは平日の仕事の疲れが抜けませんよね。でも非常に健康でした。私だけでなく仲間の誰も大きな病気をしませんでしたし、良い運動になったのではないでしょうか」。
野田さんの話では、当時はもっと凄いゴルフ・マニアがいて、その強者は一日一〇八ホール、計六ラウンドを回ったそうだ。当然キャディー一人では彼のペースについて行けず、キャディをとっかえひっかえしてこの快挙?を達成したという。
技術者・野田和之
野田さんは技術畑出身のこともあり、新技術の開発に大変意欲的だ。最近、野田さんが直接開発に携わった二つの技術が商品化されている。その一つは「スピンエアー」。この商品は中心が空洞になるように紡績された綿糸であり、軽量性と伸縮性、吸水・速乾性と保温性に優れ、タオルやソックス、ニット等に応用される。柔らかいジーンズの製造にも応用されている。倉紡のみが持つ新技術だ。もう一つは放射線グラフト重合技術を応用したアミン系消臭素材の開発だ。商品名は「コスモシャワー」。これは繊維(セルロース)を構成する分子の一部を放射線で切断し、その部分に消臭機能を持つ分子を化学結合することで消臭機能を持つ綿糸を作るものだ。この技術は肌着や寝装品、病院のシーツなどに応用できる。特長は従来の製品と異なり何回洗っても消臭機能が落ちないことだ。新技術の説明をしている時の野田さんはとても楽しそうで、自分で開発した新技術が商品化されるのは大変うれしいと笑った。
顧客満足度向上への 取り組み
野田さんのタイでの目標は顧客満足度の向上。「グループの強みを生かした新製品の開発、自社技術による安定した品質の商品を提供していきたい」と意欲を語る。泰倉紡の強みは糸から製品までの一貫した生産ラインを組めることだ。タイの同業日系他社にないこの強みを最大限に生かす構えだ。
その上で泰倉紡が目指しているのは「開発・提案型のテキスタイル会社」。分かりやすく言えば、同業他社は生地売りが主体なのに対して、泰倉紡は納入先アパレルの最終製品を想定した上でどういう生地を提供したら良いかを考える。いわゆるユーザーとの取組型を志向しており、積極的に開発・提案をして行く。
顧客満足度向上のための取り組みは製造工場の国際標準規格の取得にも及ぶ。泰倉紡の工場は既に品質規格ISO九〇〇二を取得済だ。今後は顧客満足・を取得済だ。今後は顧客満足・環境保全も考慮した二〇〇〇年度版ISO九〇〇一の取得に向けて取り組んでいくと言う。
趣味と聞かれて野田さんは思わず苦笑した。
「ゴルフしかないでしょう。毎週の休日はゴルフですね。昔は八〇を切る時もありましたが、今は一〇〇前後。やっぱり九〇は切りたいですよ」。
一九四五年生、岐阜大学卒、五十五歳。家族は妻・一男
(聞き手・構成 宮尾和宏記者)
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