ミャンマー仏教寺院
日本人修行僧を訪ねて
先日、京都に行った。超長期の景気低迷が続く日本では京都の夜も元気がなかったが、祇園で遊んでいる僧侶が多いことに気づいた。ホテルに向かうタクシーでも、運転手が「ナイトクラブなどから乗ってくる客のほとんどはお坊さん。ヤマシイのか、みんな坊主頭を風呂敷で隠して乗ってくるよ」と嘆いていた。バンコクでも、本来は持てないはずの分厚い財布を見せながら買い物している、丸々と太ったお坊さんを見かけることがある。
このような僧侶の堕落ぶりは、ミャンマーでは見られない。そして悪名高い軍事政権だが、僧侶の育成には全力を注いでいる。
ミャンマーのミンガラドン国際空港に到着すると、空港で働く軍人を含め、ミャンマーの人々からはきわめて愛想のよい応対を受ける。入国にあたって二百米ドル(昨年までは三百米ドル)を同レートの外貨兌換券FEC( FOREIGN EXCHANGE CERTIFICATE )に交換されられるが、私は言われるままに素直に両替に応じている。それは「貧しい国に来てそれくらいの協力はしよう。どっちみちその程度の金額はホテルの支払いなどで消えるのだから」と考えているからである。欧米からの観光客は、「なぜ両替しなくてはいけないのだ」とばかりに、よくもめているようだ。しかし仏教修行のために訪れた外国人に対して、この強制両替は免除されている。
首都ヤンゴンは、街を歩いていても警官が親切で、外国人に気を遣っている感じがありありだ。また、札束を中が透けて見えるプラスチックの袋に入れて運ぶ人が多いのには驚いた。もし強盗に狙われたらひとたまりもない。これはミャンマーの治安の良さを感じさせる面でもある。
「仏陀の歯」が収められた巨大なパゴダを持つヤンゴンの大きな寺に、付属の国際仏教大学がある。ここはミャンマー宗教省の管轄下、仏教だけを教えている。
約束もないまま、写真を撮ろうとキャンパス内に入っていったが、誰もとがめる人はいなかった。そして大学の上級事務員と思われるミャンマー人が応対してくれた。
同氏によると、世界五十カ国の留学生がこの大学で仏教を学んでいるという。併設の寮を見学させてもらったが、相当立派な建物だった。スリランカや韓国、ネパールから来た若者が多く、みな礼儀正しかった。彼らは私が日本人の仏教徒であると知って、安心したようだった。
大学の授業はすべて英語で行われる。外国人留学生については、渡航費用が自己負担となるものの、授業料、寮費、食費などすべてが無料で全寮制だ。一方、ミャンマー人学生は自宅から通うよう定められている。
このあと、ヤンゴンのカバエイ・パゴダ通りにあるマハシ瞑想センターという寺を訪ねてみた。ここでは二〇〇一年四月現在、三人の日本人が修行中だという。タクシーの運転手にもよく知られており、「マハシ・ササナ・エイター」と言えば、誰でもすぐに連れて行ってくれる。カバエイ・パゴダ通りにはこのほか、僧侶だけが入れる立派な病院もある。
西澤卓美(にしざわ・たくみ)さんは一九六六年、長崎県平戸生まれ。高校時代は水泳部に属していた。実家はお寺ではないが、この頃から将来出家することを決めていたという。家の問題で苦労しながらも高校を卒業すると、東京のホテルにウエイターとして就職。二十歳の時に父親をガンで亡くし、九〇年にミャンマーのマハシ瞑想センターに来て出家した。それ以来、九六年十一月にマハシ寺院の東京支部に招かれて一時帰国したほかは、日本へ行っていない。三十四歳になった西澤さんは「二度と日本の土を踏まない人生となってもかまわない」と言う。小説「ビルマの竪琴」に登場する水島上等兵を思い出した。西澤さんは、この六月から前記の国際仏教大学の学生となったはずだ。「三年のディプロマ(卒業証書)をもらったら、再びマハシ瞑想センターに戻る予定です」と語っていた。
丸島さんは、千葉県上総一宮市にある曹道宗の寺院、東漸寺(とうぜんじ)の住職の子息。地元の長生高校から駒沢大学に進んで仏教を学んだ後、マハシ瞑想センターで僧侶として修行している。
二人のほか、日本のサラリーマン生活を独身のまま定年退職した田中さんも、僧侶としてではないが、ここで瞑想修行を続けている。
ミャンマーのテラワーダ仏教は妻帯を禁止しているが、肉や魚は食べてもよいことになっている。また以前、ラオスで多くの僧侶が喫煙しているところを見かけたが、ミャンマーにも少数ながらタバコを持っている僧侶がいた。仏陀が生きていた紀元前はタバコが存在しなかったので、喫煙は戒律に含まれないのである。
ヤンゴンにはマハシ瞑想センターのほか、チャンミ瞑想センターという寺がある。ここはマハシより規模は小さいが、指導僧との接見時間が多く、規律も厳しい。かつて、ここで修行した若い日本人女性もいたそうだ。
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