経 済

新進気鋭

タイ国ニチメン 社長---ニチメン バンコク支店長
宮崎 孝志 氏


若王子氏誘拐事件時にマニラ駐在

 宮崎さんが大学のボート部の先輩の誘いでニチメン(当時の日綿実業)に入社したのは一九七四年。

「当時は商社の業績が良くて賞与もたくさん出ました。給料のいい会社に行きたくて」と笑顔を見せる。

 最初の配属先は人事部で、そこに三年間在籍した。

 「人事部での仕事は面白かったですね。いきなり実社会に入って会社のことは何も知りませんでしたから。人の管理とか人事異動とか、そういう面から全社的なものを見れたのはよかったです」。当時、ニチメンの社員数は四千人程。業績が上向きで社内は活気に溢れていた。

 次の配属先はプラント部で六年間籍を置いた。国内メーカーと組んで工場や生産設備の輸出を専門に行った。主要取引先は旧ソ連と東欧諸国。通信手段はテレックスが中心だった。

 「当時の若い人は大体テレックス上がりですね。上司の命令を口述筆記して海外駐在員に送信します。作業そのものは単純ですが、内容がバラエティに富んでいるので若い社員には大変勉強になります。取引先が旧ソ連や東欧なので、電話の場合は盗聴もあったようです」。

 八三年からは機械部長としてマニラ支店に赴任。当時はフィリピンのマルコス政権が倒れ、アキノ大統領に政権が移った時期だった。

 「フィリピンでの商売は大変でした。政権が交代し、経済的に大混乱で前に進めない状況でした。フィリピンの外貨が不足し、外貨決済がなかなかできなかったのです」。 商売仲間同士でこまめに銀行情報をやり取りし、お客様に情報提供したりもした。

 「モノは少なかったですね。日本食レストランも当時はあまりありませんでした。でも、日本人が三千人くらいいたので、家族ぐるみで簡単なパーティーを開いたり夫婦揃ってゴルフの対抗戦をしたり、楽しかったですよ」。

 しかし、八六年十一月には三井商事の若王子マニラ支店長(当時)誘拐事件が発生し、マニラ在住日本人の間に緊張が走った。異国で、しかも身近な日本人が事件に巻き込まれたとあって大きな衝撃を受けた。

 「あの事件はショックだったですね。スクールバスの警備を厳重にするため生徒の親が交代で添乗したり、銃を持ったガードマンを雇ったり大変でした」 宮崎さんは当時を振り返ってそう語る。  

信条は「誠意と工夫」

 八八年に帰国して東京プラント部のアジア担当になった。タイとの関わりができたのはこの頃からだ。そのうち電力不足が問題になり、電力プラントのニーズが増えて、九四年には社内に重電課が設置され宮崎さんが課長に就任した。

 「十年程前から当社もタイでの入札に何度も参加しましたが、なかなか契約を取れませんでした。ところが、私が担当するようになった頃からポツポツ取れるようになり、タイ電力公社(EGAT)向けの契約も取れました。当時、EGATは世界の一流品を一番安く買う方針でした。タイ市場に参入したい企業はたくさんありましたから、EGATにとってはやりやすかったでしょうね。しかし、九七年の金融危機以降、タイの電力需要は低下して今では新規の重電プラントのニーズはあまりないようです」。

 九九年からニチメンアジア大洋州渇c業開発部長としてシンガポールに赴任。シンガポールとアジア・オセアニア地域の関連各社を一週間周期で往復した。移動日が土日だったせいもあり、とにかく忙しかった。

 それから三年、シンガポールから横滑りする形でタイに赴任することになった。宮崎さんはタイをなかなか気に入っているようだ。

 「私には欧米先進国よりタイのほうが合っているんでしょうね。もちろん、スケジュールは一杯詰っていて忙しいのですが、タイは割合時間の流れがゆっくりしていると思います。タイ食も抵抗なく食べますよ」。

 宮崎さんのビジネスの信条は「誠意と工夫」「相互メリット」「燃える集団」の三つだ。

 「普通は『創意と工夫』ですよね。でも自分で変えています。相手に『誠意』を持って対応する。でも、『誠意』だけでは足りないので自分なりにいろいろ『工夫』して、『相互にメリット』があり、お互いが満足したり喜んでもらったりするのがいいと考えています。ニチメンは商社ですから貿易が一番大きな割合を占めます。こういう風にやって行かないと相手も信用してくれません。『燃える集団』は課長になったときからずっと言い続けています。一つの組織があって、みんなが心をひとつにして“やるぞ!”と燃えないと組織として大きな飛躍がないかな、と考えています。ですから『燃える組織』にしたいのです」。

自己増長を避ける

 宮崎さんのアジアとの付き合いは長い。現地従業員との関係についても深い理解を見せる。

 「タイの人もタイの人なりに一生懸命やろうという気持ちがあります。日本人とは育った環境が違うということを認識し、日本の文化・習慣の押し付けは避けなければいけません。良い面を伸ばして行けばいいと考えています。日本人は資本力があるんだとか、技術力があるんだとか、日本人が上なんだぞという、そういう自己増長をしてはいけないと思っています。タイ人には優秀な人がたくさんいます。私共がお付き合いさせていただいているタイ人経営者などは立派な方が多いですよ」。

 宮崎さんはこれまでに二十回程、短期出張でタイを訪問している。しかし、出張で来るのと腰を落ち着けて生活するのとでは大きく異なると語る。出張の時は仕事以外のことはあまり目に入って来ない。しかし、生活しているとタイの日常が目や耳に入ってくるので、国の深さがだんだん分かって来るそうだ。タイに来てからの三ヶ月間で、その国の人の生活習慣や思考形態を自分なりに勉強した上で、視野を広く持って生活しなければならないのではないかと思うようになった。

 「タイの深さを感じるのはタイ人と話をする時ですね。タイ人も日本人と同様に、相手の立場に立ってよく考えた上で話したり行動したりします。人間的にも深みのある人が多いし、人間の深みが合わさって国としての深みになっているのではないでしょうか」。

 最後に、読者へのメッセージを語っていただいた。

 「今、モノが売れない時代になって日本国内の企業は苦しんでいますね。そういう中で海外の店を任されて、日本国内のやり方を引き摺って同じ手法を採ってしまうと同様の結果になってしまいます。ですから、この時点で日本の外にいるという状況をメリットに変えて、タイにいるからこそできる良い部分をつかんで、タイの人と共存共栄して仕事ができればいいと考えています。これがひいては本社へのメリットになって行くと考えています」。  

 日本に妻と三人の息子を残し、現在単身赴任。一九五〇年生。静岡県出身。早稲田大学卒業。

(聞き手・構成 宮尾和宏記者)



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