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インタビュー

幾多の困難を乗り越え 長年の夢、新工場完成

帝国クロム(泰国)株式会社  中村孝治 社長


[TEIKURO (THAILAND) CO.,LTD.の新工場。中村社長の夢の結晶だ]

精度の高い硬質クロムメッキ

 バンコク中心部から南東方向へ車で一時間余り走ったところに、帝国クロム(泰国)株式会社(テイクロ・タイランド、038―577―785―9)の新工場がある。全幅三十メートル、奥行き五十六メートルの白く美しい工場である。新工場へ移転することは、同社の中村孝治社長にとって長年の夢であった。

 タイでは自動車産業が息を吹き返しつつある。例えば、世界最大の自動車メーカー、米ゼネラルモーターズ(GM)も新たにタイに進出している。テイクロ・タイランドの新工場では巨大な浴槽を設置してGMのプレス金型の加工を受注、結果として東南アジア最大の設備を誇る硬質クロムメッキ工場となった。

 テイクロ・タイランドはローカル企業の技術では非常に難しいとされる、精度の高い硬質クロムメッキを専門とする会社。中村社長は、大型ロールをタイ国内でメッキできるようにするのが新工場を建設した主な狙い、と説明する。旧工場から移設してきた小さなタンクを含め、全部で九槽のメッキ槽を持つ。タイ国内のメッキ業者ではできないものを中心に、大きなものばかりではなく、小さなものも扱い、幅広い要求に応えている。

 これだけの設備をつくった背景には、硬質クロムメッキ加工のために、金型などの部品を海外に持ち出さずにすむようにという、顧客への気配りがある。そんな中村社長は無償アドバイザーとして、メッキ相談もこころよく引き受けている。ただ、現在は移転したばかりで忙しく、思うように対応できないのが残念だという。さらに新工場二階の実験室では、液分析はもちろん、五リットル・ビーカーに入るニッケル化学メッキなどもおこない、小さな部品に対応している。さらに特殊な製品としてダイヤモンドヤスリなども製造、特注品として顧客の要望に応えている。

 帝国クロムのタイにおける歴史は、一九八五年に設立されたテイクロ・タイランドの前身、タイテイクロから始まった。しかしタイテイクロは景気その他の諸事情から立ち行かなくなり、中村社長が支援のために日本から乗り込むことになる。旧会社の閉鎖・休眠処理から新会社の立ち上げまで、ひとりですべてをこなして、一九九〇年に新会社設立に漕ぎつけた。大半の進出企業と同様、一九九七年の経済危機で売上は激減したが、現在はやや回復して月商二百万バーツ程度となっている。新工場に移転してキャパシティが増え、設備的には五百万バーツの売り上げも可能という。



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ゴルフボール大のガン

 中村社長はタイで肺ガンを患っている。九三年夏から咳がとれなくなり、クーラーのきいた部屋に入れば咳込み、暖かいところに出るとまた咳込むという状態になる。日本の医者からは煙草の吸い過ぎや風邪といった診断しか下りなかったし、一一月半ば喀血しタイの病院で検査したときも、原因不明と診断された。タイの医者は結核を疑ったが、結核菌がみつからなかったのだ。

 一二月頃から自ら肺ガンではないかと判断し、翌一月にタイの病院で検査を依頼したところ、ゴルフボール大のガンが発見された。三月に手術するまで、コーヒーカップ半分くらいの量を一日三回吐血、体重も六五キロから五二キロまで落ち込み、このままタイで死んでしまうのではと思ったという。普通の人なら即時帰国というところだが、中村社長は日本での三か月間の入院・手術期間を見越して、仕事のやりだめをしていたというから、並の精神力ではない。

電極作りの職人から始める

[中村社長。「日本の若者よりもタイ人の方に伸びる可能性を感じる」] 中村社長の仕事に対する姿勢には、その生い立ちが深く関係している。父方の祖父母に厳しく育てられ、ことあるたびに侍の子孫であることを言い含められたという。今の中村社長からは想像できないが、小さい頃は体が弱かった。母親は赤十字病院の看護婦で、母親からは医療関係の知識を身をもって教えられた。一四歳くらいから虚弱体質を直すために少林寺拳法を学び、徐々に体も丈夫になっていく。

 愛知県立名南工業高校工業科を卒業後、八か月間他社で勤務したあと帝国クロム株式会社に入社。プレス金型のテスト段階の仕事をし、面白いと思ったのがこの世界にどっぷり浸ったきっかけという。最初はわからないことだらけだったが、メッキの電極作り職人からスタートする。それ以来、三十一年間、硬質クロムメッキ一筋であるにもかかわらず「絶えず一年生のつもりで勉強している」(中村社長)のは、貪欲な好奇心のなせる業であろう。子供の頃から驚くほど多趣味で、プラモデルやモデルガンをつくるのが大好きだったというから、中村社長にとって硬質クロムメッキは熱中できる趣味のひとつに過ぎないのかも知れない。         

信用しないから信頼できる

 だが、従業員に対しては厳しく叱ることもある。従業員が伸びることによって、自分ら高い給料を得て欲しいと願うからだ。中村社長は従業員ひとりひとりの給料を確認して、それでどのような生活ができるのかを自ら実感してみることを信条としている。

 ときには大きな石をほうり込んで波紋を広げ、従業員の意見を出させたり、スト的なことをやらせるように操作することもある。意見を言え、といっても絶対に言わないタイ人に、腹が立って意見を言わざるを得ないような状況を作ってやるのだ。

 中村社長の従業員に対する姿勢は「信頼はせざるを得ないが、信用は絶対しない」というものだ。従業員を信用をしないがうえに、逆に信頼できるのであって、信用し過ぎることによって相手に負荷をかけていることもある。「これはタイ独特の問題かも知れないが、裏まで見ていなければ管理はできない」と中村社長は言う。

タイのほうが厳しい

 ここまできてしまうと、タイは第二の故郷、と中村社長は笑う。好き嫌いということではなく、同じアジアであり、日本の地方にいるのと同じつもりでいるそうだ。腹が立ったときはタイ人、日本人ととやかく言うが、冷静に考えてみると、タイ人も日本人もないというのだ。今では、日本の若者よりもタイ人のほうに伸びる可能性を感じている。

[「ときにはわざとストをやらせることもある」] 遊び半分で海外で仕事をする日本人の若者が増えている風潮に対して「日本よりもむしろタイのほうが厳しいという認識が必要」と手厳しい。さらに駐在員に対しても「職場とタニヤ、日本料理店、ゴルフだけの毎日ではなく、タイの奥深く踏み込んで、従業員がどんな生活をしているかを知って欲しい」というアドバイスを忘れない。

 そんな中村社長を支えるポリシーは無神論。といっても神の存在を否定するのではない。神というものは、ひとりひとりが心のなかに持っている無形のものであり、そうしたものを大切にしていきたいという意味だ。中村社長は「死ぬ間際にもがいて死にたくない。やるだけのことをやったんだからという風に死ねれば最高」とも言う。

 無機質の化学薬品を扱う仕事とは対照的だが、中村社長は動植物が大好きである。日本では観葉植物を足の踏み場のないほど集めていた。タイに来てからはカトレアなどのランを愛好している。新工場の表で飼っているハヤブサは、かわいそうに鳴いていたヒナを買ってきたもので、餌がとれるようになったら逃がしてやるつもりだ。ハヤブサが大空を飛翔するころには、テイクロ・タイランドの新工場も大きく飛躍していることだろう。 
               

 (文・写真/山岡耕志郎)




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