総 合

五月事件報告書 
遺族グループ 「事実隠蔽」と反発

全文公開には一定の評価


 九二年の流血の惨事「五月事件」に関する国防省の調査報告書がほぼ全文公開されたが、これに対し、この事件で肉親を失った人々のグループは、「一方的な見方であり、事実を覆い隠そうとしたものだ」と強く反発している。

 同事件は、九一年のクーデターで全権を掌握した軍部が公約を破って政治の表舞台に出てきたことから、大勢の市民が抗議運動を展開し、これを軍部が武力で弾圧し、数多くの市民が命を失ったもの。同グループや運動に加わった人々は、今回の報告書の公開で、(1)誰が丸腰の市民への発砲を命じたか、(2)弾圧で死亡した市民の遺体を軍部がどこに運び去ったか――の手がかりがつかめるものと期待していた。しかし、その内容は、「現場の兵士は上からの命令ではなく、自己防衛のため発砲したのであり、責任は市民を過激な行動に先導した者たちにある」というものだった。

 九二年に陸軍司令官から首相に就任、市民の強い反発を買ったスチンダ・クラパユーン元首相(陸軍大将)が先に、全文公開を是認するとしていたことからも、同報告書の内容が、同大将など当時の軍部首脳に不利なものでないことはある程度予想されていたが、その通りとなったわけだ。

 遺族グループの代表、アドゥン・キュウボリブン氏は、報告書のほとんどが事実の歪曲だと非難。同氏は「軍部は五月十八日に市民に発砲したことは認めている。これは明白な証拠があり、否定しようないからだ。しかし、報告書の中で、事実はこれだけだ」と指摘した。同氏は、報告書は軍部の自己弁護、事実の隠蔽に終始しており、死亡した市民の遺体を見つけだす手がかりも失われたと悲嘆しているという。

 さらに報告書には、ナンラーン警察署、ラチャロダムヌン通りのパンファ橋、公共工事局の建物に市民が火を放ったことで市民が暴徒と化したとし、また、その責任は当時のパランタム党のリーダー、チャムロン・シームアン氏などにあると記載。さらに「チャムロン氏たちは、先に放火容疑で同署に留置されていた学生たちを解放しようと火を放った」と結論付けている。これに対して、チャムロン氏は、「パンファ橋に火がつけられる前に学生たちは釈放されていた」と異議を唱えるとともに、「公共工事局の建物が放火されたのは、市民によるものではなく、弾圧のきっかけを作るための軍部の策略だ」と断言している。

 それでも遺族代表のアドゥン氏は、「厳しい検閲に対する批判に応える形で国防省が報告書のほぼ全文を公開したのは、まだよい兆しだ」と一定の評価はしており、「死亡した市民の遺体の所在を突き止めるため、国防省に対しさらなる情報の公開を求めてゆく方針だ」としている。



[BANGKOK SHUHO]