総 合

5月流血事件報告書  国防省、ほぼ全文を公開

氏名記載の関係者全員が承諾


 五月流血事件調査報告書の再公開について、事件の当時者スチンダ元首相が全文公開を提案、国防省情報委員会がこれを前向きに検討し、二十日に行われた会議では九九・九九%の公開が決定された。チュアン・リークパイ首相兼国防相もこの決定を支持しており、六百五ページに及ぶ調査報告書、百十四ページの添付書類、八ページの報告書要約のすべてについて、翌二十一日からほぼ全文が公開されることとなった。公開は申請者が対象で、すでに五月流血事件被害者親族会、タイ学生連合、複数の新聞社などが申し込んでいる。

 国防省のサナン報道官によれば、治安上の理由から暴動鎮圧計画など軍の機密に関する部分は再び削除されるが、前回評判の悪かった「黒塗り」ではなく、「軍の機密」と但し書きした上で空白にされているという。

 調査報告書は先月二十九日、閲覧を要求していた六人対し初めて公開されたが、全六百五ページのうち六〇%が黒く塗りつぶされていた。また百十四ページに及ぶ添付書類も一切公開されていない。このため五月流血事件被害者親族会は、報告書の全文を再度公開するよう求め、チュアン・リークパイ首相兼国防相及び首相秘書事務局に嘆願書を提出していた。

 これを受け、国防省情報委員会は今月五日、検閲箇所を見直して再度公開することを約束。報告書の中に氏名が記載されている国軍高官や政治家四十二人に対し、今月二十日を回答期限として公開の承諾を求める書簡を送付した。承諾が得られなかった人物については、記載部分の公開を控える予定だったが、同委員会によれば全員が公開を承諾したという。

 五月流血事件は九二年四月、首相就任の意向を否定していたスチンダ陸軍司令官(当時)が首相に就任、国民の抗議運動が拡大し、五月十八日未明から二十日にかけてデモ隊が国軍と警察よる無差別発砲を受けた事件。バンコクのラチャダムヌン通りで起きたこの惨事は、政府発表によれば四十四人が死亡、三十八人が行方不明になったとされているが、被害者の親族は「死者と行方不明者は数百人に上る」と訴えている。

 スチンダ元首相は先に「五月流血事件の調査報告書は読んでおらず、どの程度の内容かわからない」としながらも「国軍の報告も含め全文を公開すべき」と提案していた。またこれまで語る機会がなかったと前置きしてから、事件に対する自分の責任を表明。「自分の自信過剰が招いた不幸で、他の誰の責任でもない。首相就任は合法的ではあったが間違った判断だった。しかし当時は選択の余地がなく、議会が不信任を決議すれば辞任する用意もあった」と語っている。また市民への発砲は命じておらず、事件は「暴動を静めようとした兵士の発砲に始まる成り行きで起きた惨事」としている。同元首相は「結果的に国軍の評判を落とし後悔している。軍が政治に関与するにはあまりに未熟だった」とも述べている。



[BANGKOK SHUHO]