経 済

幻のクラ運河

21世紀最初の巨大計画となるか


 タイ経済は回復基調にあるものの、高度成長期のような力強さは見られない。国民の間には長引く不況で倦怠感が広がり、モラルの低下が顕著になっている。凶悪犯罪は急増し、若者の売春や薬物利用も珍しくない。タイ政府は財政投入で経済を下支えしているが、タイ経済にはまだ自立回復できるだけの力は備わっておらず、政府負債は増加の一途にある。まさに袋小路に陥ったタイだが、三百年前から繰り返し提案されながら実現されることがなかった幻の巨大プロジェクトが起死回生の経済政策として議論されるようになった。それはマレーシア半島中部にタイ湾とインド洋を結ぶ運河を建設しようという計画で、日本の財団法人も一枚絡んでいる。


最大の問題は資金調達

 運河の候補地はバンコクからおよそ四百キロメートル南に下ったクラ地峡で、最短ルートでもタイ湾側のチュンポンからインド洋側のラノーンまで約百キロメートルある。ここに運河が建設されれば、船舶は現在のマラッカ海峡を通る航路に比べて距離で約七百海里(千三百キロメートル)、航海日数にして二―五日短縮する。このため船舶の運用コストも、一隻当たり数万ドルから数十万ドルを節約できる。また、海賊の襲撃や座礁から開放される。

 一方、運河通航料で得られる収益は年間二千億バーツにのぼるとの民間調査もある。いいこと尽くしに見える運河だが、それが長年にわたって実現されなかったのは、それなりの理由がある。まずは治安上の理由で、軍部が反対の姿勢を取ってきた。一般にタイは仏教国として知られるが、南部のマレーシア国境地帯では、イスラム教徒が少なくない。このため昔から分離独立運動があり、年に数度は過激派によるテロが繰り返されてきた。そこに運河を掘れば、それが「お掘り」となり、分離独立運動を助長させかねない。

 しかし、この問題は南部を支持母体とする民主党政権の南部の融合策が功を奏し、過激派ゲリラが投降して分離独立運動が下火となったことから、今では運河建設の障害とならなくなった。軍部はむしろ、中国の東シナ海での軍事力拡大を懸念し、紛争が勃発した際にマラッカ海峡以外にインド洋へ抜けるルートとなる同運河の建設を強く支持している。

 ただしそこには運河建設で発生する利権も見え隠れする。運河建設に積極的なチャワリット前首相・新希望党党首は、国軍の元最高司令官。またクラ運河実施調査のための国会議員による小委員会設置では、国防委員会が中心になって動き、委員長もチャルーン空軍元帥が務めている。以前は聖域とされた軍関係予算は経済危機で大幅に減額され、かといって民主化進展で軍部のあからさまな利権行為も行いにくくなっている昨今、運河建設は軍部の乾いた喉を潤わす恰好のプロジェクトとなるだろう。

 クラ運河は外交的には歓迎されていない。というのもマラッカ海峡は現在、日本や東南アジア貿易の生命線となっており、それを挟むインドネシアとマレーシアは安全保障という重要な役割を担っているからだ。もしクラ運河が建設されれば両国の国際的発言力の低下は必至だ。より大きな影響を受けるのはシンガポールだろう。東南アジアの海上輸送基地としての地位を失うことになる。このため、これらの国ではクラ運河建設に反対し、タイがそれを無視して強行すれば、東南アジア諸国連合(ASEAN)内の結束を乱す要因となりかねない。

 これらの理由は完成後の影響を考慮したものだが、それ以前の問題として最大のネックだったのは、巨大プロジェクトの宿命とも言える資金源だ。大型船舶が往来できるようにするには運河の幅は百メートル、深度も三十メートルは必要になる。これを百キロメートルに渡って掘るとなると、総工費は巨額だ。これまでの様々な調査では、五千億バーツから一兆バーツ、運河が完成するまで七年から十年かかると見積もられている。実際に工事を始めれば、この予算、工数を上回ることは十分にありえるが、工事が完成するまで一切収入は無い。こうなると金利だけでもばかにならず、着工から投資資金を回収するまでに三十年以上を要する。

 現在、チュアン首相や主要閣僚はクラ運河の開発に「そんな資金は無い」「開発リスクが大き過ぎる」と消極的だが、通貨危機以来の深刻な不況で、経済界やそれに後押しされた政治家が水面下で動き回るようになった。タイの財政事情は厳しいので、今すぐに実施されるというものではないが、タイ経済がこのまま自立回復に向かわなければ、先進国からの資金援助を受けた「アジア版ニューディール政策」として現実性を帯びてくる。


日本企業救済という二兎

 このクラ運河建設計画で日本の先鋒となっているのが、「グローバル・インフラストラクチャー・ファンド(GIF)」という財団法人だ。株主には民間企業に加えて外務省、通産省、大蔵省、運輸省など七省庁が名前を列ねる。

 日本の産業界では一九七〇年代から同運河に関心を示していたようだが、昨年初にチャワリット元首相の率いる国会議員の委員会から運河開発の話しを持ちかけられ、動き出したようだ。六月にはGIF代表団が訪タイし、チュアン現政権から日・タイ合同によるプレ・フィージビリティー・スタディー(事前実行可能性調査)実施の承認を得た。ただしプレ(事前)とつくものの、半年間の調査費用は一億五千万バーツに及び、調査項目にも運河建設費用、予想収益、地域経済・社会への影響、環境アセスメントなどが含まれ、地元大学、企業も参加した。この調査は昨年十一月に終了し、結果は今年一月にソンクラ大学で発表され、その後、運河計画調査小委員会から政府に提出されている。

 とはいっても、実際のところクラ運河はまだ夢の段階に過ぎない。プレ調査の結果を受けた政府は、FS(実行可能性調査)実施を承認していない。この調査だけでも百億バーツの費用が必要とされるからだ。現政府には、実施するかどうか分からないプロジェクトにそれだけの資金を投入する財政的余裕はない。

 実務に追われている日本人駐在員の場合も、建設会社や商社、日本政府関係者ですら「名前くらいは聞いたことがある」といった程度の認識だ。タイ社会でもマスコミで取り上げられることは少なく、地元の推進派政治家や経済人による根回しのレベルと言える。

 そこに日本の財団法人が首を突っ込み、調査費用を一部負担した理由は、日本側のメリットも大きいからだ。日本では不動産バブル崩壊と急速な経済構造変化で、建設業界が窮地にある。民間資金は不動産開発から通信、ハイテク産業にシフトし、建設会社の株価は低迷したままだ。アジアブームではバブルに巻き込まれて不良債権を抱える羽目になった。

 日本政府は不況克服のため大盤振る舞いの赤字財政を続けているが、バブル期に比べればバラマキ型で小規模化し、将来的に大型プロジェクトが実施される見込みは少ない。このままでは日本の建設会社の多くは淘汰されるだろう。そこで建設業界、そして同業界に支えられた自民党政権が目を向けるようになったのが途上国に供与されるODA(政府開発援助)だ。

 これまでODAは他国からの非難を避けるために受注条件を定めない「紐なし」が増加傾向にあった。これは最終的に返済するのは現地政府であり、その使い道は自由にすべきという考えからだ。しかし日本政府は不況長期化で従来政策を一転し、日本企業への発注を増やしている。最近ではタイやインドネシア、カンボジア、ラオスなどで、日本企業にとっての最大の得意先は日本政府となっている。これはまさに日本の公共投資の海外輸出といえるが、建設業界の経営が悪化すれば、それは支持基盤の溶解という形で跳ね返ってくるため自民党関係者もなりふりに構っていられない。

 小渕前首相がチュアン首相との会談や国連貿易開発会議(UNCTAD)でのスピーチで、日本政府の重点支援分野として「メコン川流域開発」に何度も言及したのも、これが対アジアODAの目玉であり、日本企業の期待が高いからだ。

 クラ運河建設計画は、地理的にメコン川流域開発計画に含めることも不可能ではない。また、アジアの開発援助という理由だけではなく、日本にとってもマラッカ海峡以外の石油輸送ルートを確保できることになり、最近の日本国内における国防意識の高まりを考慮すれば国民に理解を求めやすい。

 一方、日本企業にとっては、タイでクラ運河が建設されるとなれば、日本政府だけではなく日本の息の掛かっているアジア開発銀行(ADB)などからの融資も期待でき、長期安定した収入が約束される。

 これまで浮上しては消えていった幻のクラ運河計画。それがにわかに注目されるようになったのは、タイと日本のバブル後遺症が予想以上に大きいためだ。クラ運河建設はアジア経済再生の起爆剤として、今世紀最初の巨大開発計画となるかもしれない。

(水谷 昇記者)


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二百年以上にわたって浮沈を繰り返した計画

 クラ運河計画の起案はタイがアユタヤ時代だった一六七七年まで逆上る。当時のナライ王がフランスに対して南部ソンクラに貿易拠点設置を認めた頃、現地調査にきていたフランス人技術者のデ・ラ・マールがビルマ側まで運河建設できる可能性を見つけた。フランス政府は一八五八年にスエズ運河完成後、それを見本にしてラマ四世にクラ運河建設を申し出たが断られた。

 しかし一八七二年、開発大王と呼ばれたラマ五世はイギリスにクラ運河実行可能性調査を要請。結果は実現可能と出た。

 その後、一八九五年にケイル運河(バルト海と北海を結合)、一九一四年にはパナマ運河(大西洋と太平洋を結合)が完成。クラ運河計画にも益々多くの外国人ビジネスマンが注目し、タイ政府への提案を行った。これにラマ六世は興味を持ったようだが、第一次世界大戦が始まり流れてしまう。

 一九三五年には外国資金に依存せず、タイの自力で建設する案が出るが資金調達の目処が立たず、運河建設計画は忘れ去られる。

 その後、第二次世界大戦を経た一九五八年にレムトンパタナ社が政府に実行可能性調査を申し出た。閣議ではその計画を承認したが、国家安全委員会が安全保障上の理由から却下した。だが、レムトンパタナ社はあきらめなかった。一九七〇年に再び政府から調査実施許可を得て、今度は調査を実施する。この時は十カ所のルートを三年間かけて調べ、計画は進むかのように見えた。しかし一九七三年十月に政変が起きて流れてしまう。

 一九七七年に南部議員グループがチュンポン―ラノンルートの運河建設を国会に提案するが、やはり政権交代で流れる。

 一九八〇年にプレム政権が誕生し、政権が安定すると軍部からクラ運河計画の再考が首相に提案された。そこでプレム首相はソンクラ大学のブーンプルック経済学部長を委員長とする委員会を設置。同時に国家経済社開発会委員会(NESDB)のピシット長官に別途調査を要請した。

 同政権のサマック通信相は、米国ビジネスマン、学者、政府関係者に対してクラ運河に関するセミナーを開催。その後、サマック通信相に対して米国の財団、日本のGIFが実行可能性調査実施を提出した。これは政治家、ビジネスマン、軍人の指示を受け、うまくいくかに見えた。しかし国会解散でまたも計画は流れてしまう。

 一九八七年には国会が調査委員会を設置し、関係者がスエズ運河やキエル運河を見学したが、経済低迷から委員会は解散。国王の支援を得た科学者グループのボランティアズ・イン・サイエンス・アンド・テクノロジー・アシスタンス(VISTA)が調査を続けた。国会では別の調査委員会を設けられ、クラ運河建設のメリットが主張されたが、一部の国民や学者がコストが大きすぎるとして反対した。

 一九九〇年には日本企業グループがチャチャイ首相に運河建設計画を提出。しかしこの時は、タイの工業化に直接影響のある東部臨海工業地域計画が優先された。
 




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