障害者の現場から B ―― 身体障害者
「大切なのは自助努力」
タイ国障害者協会前会長スティポン・ラッタノソク氏に聞く
両足のマヒで車椅子での生活を余儀なくされているスティポン氏(三八)が健常者としての生活に別れをつげることになったのは十七才の時、脊髄炎の治療中に受けた脊髄注射が原因だった。
都内有名高校の三年に在学、軍士官学校への進学を希望していたが、進学どころか、高校すら退学するはめとなり、ナコンパトム県の実家に戻ることとなった。
家業である雑貨屋の手伝いをしながら、失意の日々を送っていたスティポン氏の人生を大きく変えることになったのが、ある女性との出会いだった。十九才の時だった。「どうしてもこの女性と結婚したい。自分の家庭をもちたい」との思いを抑えることができなくなった。
そしてそのことが消えてしまっ活力を呼び起こすことになった。二年の交際を経て、二人は結婚。その後も「妻を幸せにしたい」と、がむしゃらに働いた。雑貨屋の売上を元手にしての金貸し業をかわきりに、自動車修理工場、宝くじ売り、土地ブローカーと手広く事業を広げていった。特に土地ブローカーは、バブルの勢いにのったこともあり、収益が飛躍的にアップ。生活レベルもどんどん上がっていった。
「障害があるからといって、人生の可能性がすべて失われたわけではない」。事業に本腰を入れるようになってから十年後、スティポン氏はノンタブリ県パクレット市に念願の自宅を購入した。
スティポン氏は「自分の生活が良くなると、他の障害者の生活向上にも貢献したい、との思いが強くなってきた」と当時を回想する。そこで自宅を開放し、障害者のための小規模な『互助会』を主催することになった。パクレット市はもともと障害者保護施設が多いことで知られているが、〃人が人を呼ぶ〃かたちで、障害者らがスティポン氏の自宅近くに部屋や家を賃借りするようになり、会に参加する人数は次第に増えていった。
「集まってくる障害者の多くはそれぞれに大きな問題をかかえていた」というが、互助会の基本姿勢は、「皆で解決法を考えるが、実際に実行するのは自分自身」というもの。この〃自助〃の精神はスティポン氏がもっとも重要視したものだった。
その後、障害者の間での知名度が高まったスティポン氏はバンコク都内プラプラデン地区障害者協会の会長に招かれることになる。同協会は障害者の自立を目指して設立されたもので、同地位には二年間とどまった。
さらに九一年にはタイ国障害者協会の副会長に就任。その後、会長に選出され、四期にわたり同職を務めることになった(一期は二年間)。
タイ国障害者協会は一九八二年に設立された民間援助団体で、運営資金は、政府からの援助・外国からの援助・国内での寄付でまかなわれる。協会の基本姿勢は、障害者をただ単に援助するのではなく、個人の問題に関しては「皆で考え、自分で解決」、その一方で、政府に対しては、障害者の権利平等を協会として求めていくというものであった。これはスティポン氏の方向性とも一致しており、「副会長への就任を承諾したのは考え方が同じだったから」と語っている。
教育・就労機会の拡大を目指す
学ぶ機会、働く場所に恵まれている障害者は少ない。「これは障害者に能力がないわけではなく、社会が障害者を締め出しているため」とスティポン氏は訴える。「障害者は社会のお荷物という見方は根強い。八二年の統計では障害者のうち教育を受けている者は八%、職業に就いている者は二%という低率であった」と社会の不理解を同氏は嘆くが、就学率・就業率についていえば、今でもそう変わってはいないようだ。
このためスティポン氏は障害者の可能性を政府や一般社会に認めさせようと尽力、「障害者は助ける対象でも、面倒をみる対象でもない。一般人と同様に生活できるようチャンスを与えてほしい」と訴えている。そのために同氏が強く求めているのは、(1)教育機会の供与(2)就業機会の供与(3)権利の平等(4)一般人の意識改革――の四項目だ。
とはいってもその実現への道は決して生易しいものではない。法律では二百人以上の従業員がいる企業では障害者をひとり雇用することになっているのだが、それでも違約金を支払うという方法を選択する企業が多いという。
県庁や役所などの障害者がひんぱんに出入りするところでも車椅子用の通路はなく、また公共輸送機関と銘打っている路線バスさえも障害者への配慮はなきに等しい。
しかし希望がゼロというわけではない。「タイでは九四年ごろから人権意識が高まりをみせているのが実感できる」とスティポン氏は話す。経済悪化がその流れに水をさしたとはいうものの、現行の新憲法では、第三〇条で初めて、障害者の権利平等を明文化するなど、社会の流れはあきらかに人権保護に傾いているようだ。
十数年前、日本人の障害者が自ら語った言葉がいまでも耳に残っている。「同情はいらない。一緒に歩いて下さい」。障害者を援助する対象ではなく、ともに生活する仲間ととらえることが、障害者対策の第一歩ともいえそうだ。
《編集部・インタビュー時、スティポン氏はタイ障害者協会会長職にありましたが、現在は同職を退いています》
(倉林義仁記者)
|