総 合

上院議員選挙 棄権者は公民権一部はく奪

戸惑う出稼ぎ者、「帰省費用が重荷」


 タイ初の上院議員選挙(三月四日投票)は目前に迫っているが、選挙管理委員会の準備は決して順調とはいえないようだ(新憲法の規定により選挙はこれまでの内務省に代わり、新設された選挙管理委員会が主導することになっている)。

 ハード面では得票集計用のコンピューターがまだ調達できていないことがある。選挙管理委員会は大手銀行の支店・本店のコンピューター網を利用して地方の集計を迅速化する目論みだったが、交渉が難航、また新規購入予算もないことから、「このままいくと集計に数日を要することになりそうだ」と顔を曇らせている。

 さらにソフト面では広報不足がここにきて、噴出することになった。

 新憲法下での上院・下院選挙に適用される新規則に「正当な理由なくして投票を棄権した者は公民権を一部はく奪される」というものがある。日本やアメリカでは任意投票制を採用しているため、投票するもしないも有権者の自由であるが、タイの新憲法ではオーストラリアやイタリアが採用している義務投票制度を導入した。国民の政治関心を高めることが目的であるが、事前の広報がまったく不足しており、またははく奪剥される公民権の詳細も明確でないことで、有権者の混乱を招くことになっている。

 これまで選挙に無関心だった東北部に実家のあるタイ人女性Aさんは、田舎の兄弟から「今回の選挙はいままでとは違い、棄権すると罰則があるようだ」と聞かされ大慌て。それでも「田舎に帰ると、往復で千バーツ以上かかる」と顔を曇らせる。月収が五千バーツに満たないAさんにとってはかなりの痛手だ。

 そこでバンコク都内の地区役所に問い合わせたところ、「一定期間、選挙権がはく奪される」との回答。さらに「これは決定事項ではありませんが」との前置きで、(1)住所移動が困難になる(2)住民税が増額される――などと脅された。

 地方の兄弟からも、「行政サービスの利用、公共施設の使用が制限されるかもしれない」と電話がかかってくるなど、Aさんは「どうしたものか」と憂うつな日々を送っている。

 一方、選挙委員会でははく奪される公民権として、(1)一定期間、下院議員・上院議員・村長など選挙で選ばれる政治職に立候補できなくなる(2)首相府などへの直訴状に署名する権利がなくなる(3)新たな法律制定を要求する権利がなくなる――などを挙げているが、選挙権はく奪までは言及していない。どうやら行政内部でも情報が交錯しているようであり、これがますます有権者を混乱させることにもなっているようだ。

 選挙管理委員会は、地方からの出稼ぎ者など三月四日に帰省できずに指定の投票所に行けない場合の措置として、三つの選択肢を用意している。

 まず投票に行けない理由を住民登録してある地区の登記官に提出して許可を受けるという方法。これは投票日の七日前までに行わなければならない。しかし証明書類が必要なケースがあるほか、仮に理由が「不適当」と判断された場合には、投票日の直前に「棄権は認めず」とのレターが送付されてくる。そのため直前まで宙に浮いた状況が続くことになり、予定が確定しないということになってしまう。

 権限委任状を実家に送り、両親や兄弟に投票を代行してもらうという方法もある。しかしこれにはよほど信頼できる者が地方にいなければならず、そうでない場合には委任状が悪用されるといった不安も残る。

 そして最後のひとつが「不在者投票」。これは選挙日前に投票を済ませておくというもので、選挙管理委員会では二月二十五日―二十九日まで、住民登録をしてある県の中央選挙事務所で事前投票を受け付けるとしている。とはいっても、そのための旅費がかかることには変わりはなく、また会社を休むことが必要になるケースもあろう。

 先日も「上院議員選挙」をテーマとしたテレビ番組があり、ウィチット選挙管理委員会委員長も出演したが、このなかで視聴者から「生活苦のため帰省費用が捻出できない」との質問があった。そしてそれに対する選挙管理委員会側の回答は、「民主主義を維持するためには国民の投資が必要」というもの。確かに正論ではあるのだが、市民の間からは、「投票は義務でなく権利だ」として、この憲法規定は「理想に走り過ぎ」との声が噴出することになっているのも事実だ。

 さらに「この時期は休日がなく、一日休むと千バーツの罰金になるが、どしたらいいのか」という視聴者の質問も番組に寄せられた。選挙管理委員会では労働社会福祉省を通じて、「選挙での帰省には便宜を図ること」という通達を出したというが、強制力はなく、「棄権の罰則を規定するくらいなら、どうして投票日とその前後を休日と規定しないのか」との不満も聞かれている。

 世論調査でもおおむねこの規定には批判的な意見が多い。そしてさらに言えば、広報不足により公民権はく奪・不在者投票・委任状のことを知らないタイ人も相当数に上っているようだ。

 政治改革推進を基本理念に制定された新憲法であるが、その理想はあまりに高すぎて、現実の政治とのギャップが大きすぎるという面も否定できない。そのため今回の上院議員選挙では投票結果だけでなく、投票棄権者への選挙管理委員会の対応が注目されることにもなっている。

(倉林義仁記者)



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