移動図書館日記
〜巡回寺子屋教室イサーンをゆく〜
第三章 ぬり絵(第二週)
96年6月25日(火)=午後=ファインヒンラード小(前編)
この小学校はやがておおきくかわってゆくのだが、当初は九校のなかでもっとも児童たちの活気にかける学力水準のひくい学校だった。
フアイヒンラード小学校の変貌ぶりについては今後すこしずつふれてゆくとして、今回は三・四年生の活動を中心に紹介しながら同小の子供たちの学力のていどについてみていくことにしよう。
トタン板の屋根と柱だけの粗末な講堂で全校児童は三十分ほど歌の練習をしてから三班に分散した。
講堂前の木陰にゴザをしいた三・四年生はさきほどおそわったばかりの「あいさつの歌」と「オニワニワー」をたってうたうが、声がちいさい。二度三度くりかえしうたっていくうちに声がでるようになった。
「では読書にはいりましょう」
ニッタヤー先生の合図で子供たちはひとりずつ順番に青い木箱から本をとりだして読みだした。
男女あわせて二十五人ほどいるが、このうち六人(男五人・女ひとり)の子供が自力で文章を読むことができない。だから六人は読める子のとなりにすわり、まず一文節ずつ区切って読んでもらい、ついでそのあとをおなじように読む。だがかんたんな短文…たとえば「動物をたすけます」といった類…もなかなかうまく発音できない。読めないからつまらなく、すぐにあきてしまう。
この六人は全部が全部、「知恵おくれ」というわけではない。男の子三人はただ単に勉強に関心がなくおくれている、といった感じで、この子たちの能力にあった指導をすればかならずふつうの水準にたっするにちがいない。
ニッタヤー先生によると、三人の男の子はすこしは読める。ただしかなり速度がおそく、発音もきわめて不明瞭だ。
それに対してあとの男の子ふたりと女の子はかなり知能がひくい。まったく読むことができず、完全な文盲である。
ニッタヤー先生はつぎのようにいう。
「フアイヒンラード小学校の三・四年生のばあい、子供たちは読書力のほか読書感想ノートにかきこむ能力もおとっています。自分が手にした本の題名しかかけません。ほかの小学校では、絵本の内容をほんの一〜二行、ごくかんたんにまとめてかかせていますが、ここの子供たちは本の物語の要約はとてもむりです。フアイヒンラード小学校にかぎらず、イサーンの農村部では小学校がおわり家へかえっても子供たちはあそんでいるか、父母の仕事をてつだうかで、活字と縁のない生活をおくっています。また父母もその日その日をたべていくことで精一杯。子供の教育への関心がとてもひくいのです。というより関心は皆無にちかいといっていいのではないでしょうか」
読書の時間ちゅう、足で本をいじくっていた男の子がひとり。ニッタヤー先生にほそい棒でぴしゃりと足をたたかれた。
五・六年生は三・四年生のすぐちかくの木陰で活動をはじめた。四つの組にわかれてゲームでイギリス語の勉強をしたあと読書にはいった。
いろいろな図書のあるなかで、人気のたかいのは絵が立体化する「とびだす絵本」と漫画本。いわゆるふつうの絵本は今ひとつうけない。
動物の生態についてかいた「とびだす絵本」を共同で読みながら、挿絵のゴリラの手足をうごかしてよろこんでいる組もある。まじめに読書にうちこんでいるのは二十三人ちゅう八〜九人ぐらいか。
杉浦 直樹
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