移動図書館日記
〜巡回寺子屋教室イサーンをゆく〜
第三章 ぬり絵(第二週)
96年6月24日(月)=午後=ドーンハーン小(前編)
移動図書館のやってくるのがよほどまちどおしいのだろう。すでに児童たちは図書室前の木陰にゴザをしいてすわってまっている。
ワゴン車が子供たちの前にとまると、なかからプリッサナー先生がとびだしてきた。
「こんにちは!みんな、このあいだならった歌をおぼているかな?『本は友だち』の歌をうたってみよう。一・二・三!」
本はとても仲のいいお友達 毎日すこしよむだけで
いきいき元気たのしい毎日……
子供たちは手をたたきながら、元気よくうたう。
「つぎは『手をあらおう』の歌!」とプリッサナー先生。
これもおおきくあかるい声で一気にうたいきった。
「よくできました。きょうはあたらしい歌をおしえてあげましょう」
プリッサナー先生にかわり、クローンゲーオ先生が「あいさつの歌」など新曲をふたつおしえた。
三十分ちかく全校児童が合同で歌をうたってすごしたあと、五・六年生はバレーボールコート横の木陰へ、一・二年生は図書室のなかへ移動した。三・四年生は、全校児童があつまった場所にそのままのこった。
三・四年生はさきほどならったあたらしい歌をもう一度練習したあと、まず男の子から順番に本を青い木箱からとりだし、しずかによみはじめた。男女とも小声にだして音読しているものの、まじめに読書している。たちあがったり、あちらこちらうごきまわる子供はみあたらない。自力で読めない児童に対してはニッタヤー先生が一字一句読んできかせ、本の内容に関してときおり質問をおりまぜながら指導している。
どこの学校にもかならずひとりやふたり「知恵おくれ」などの障害児がいるということに九校の小学校を一巡してみて気がついた。障害をもつ子供たちが、いわゆる「ふつうの学校」にかよい一般の子供たちにまじって学校生活をおくっていることはじつにすばらしいことで、障害をもつ子供にとっても、障害をもたない子供にとってもおおきな意義がある。
ドーンハーン小学校の担任の先生によると、三年生のカンポン君は「知恵おくれ」である。だが読書時間ちゅうのカンポン君の行動を観察していると、彼は本になかなか興味があるようだ。文章を理解できないので、絵本の絵を熱心にみている。
しばらくするとニッタヤー先生がカンポン君の横にやってきた。ニッタヤー先生が一文節ずつ読むと、カンポン君は必死になってあとをついて読んでいる。文字はなんとかかけるらしい。読書感想ノートにも読んだ日付や本の名前などを拙い文字ではあるがただしくしるしてある。
本を読みながらニッタヤー先生が絵本の中身について質問すると、真剣な表情で受け答えする。しかも答えはおおむね正解だ。こちらのいうことはわかっている。
「いいかな、カンポン。水がないと人間は生きてゆけるかしら?」
「いいえ、生きることはできません」
担任の先生の話だと、通常の授業ではとなりにすわっている級友がいろいろと手助けしている。カンポン君はタイ語のひとつひとつの文字(日本語でいう『あ・い・う・え・お』)はだいたいわかるという。だがこれが単語になると…たとえば「かばん」「とり(鳥)」など…理解できない。文章となるとなおさらである。
ニッタヤー先生が絵本をみながらまたカンポン君にといかけた。
「『尿』ってなんのこと?」
「オシッコ」
一・二年生はまず本のあつかい方を復習してから、クローンゲーオ先生が絵本「アヒルの口のお姫様」の読み聞かせ。そのあと読書になった。だが十五分が限界で、すぐにぬり絵にかわった。
杉浦 直樹
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