移動図書館日記
〜巡回寺子屋教室イサーンをゆく〜
1996年6月12日(水)=午前=ドーンハーン小
日本の小学校ではたいていどこでもりっぱな図書室がある。だがイサーン農村部の小学校に図書室はない。図書「室」はあっても本がほとんどなかったり、たとえ本をおいてあってもふるくてうすい粗末な絵本が数十冊つんであるだけというのが現状である。
そんななかにあってコンケーン県バンファン郡のドーンハーン小学校はこぎれいな図書室をもつ。村のお寺が中心となって寄付金をあつめ、図書室をつくってくれたという。
図書室の入り口からみて左側半分は校長室兼応接室。右半分を図書室として活用している。ただし絵本がほんのわずかあるだけで、あとは教科書しかない。イサーンのなかでは恵まれているほうかもしないが、日本の小学校の図書室からみると、質量ともにひじょうに貧弱である。
ドーンハーン小学校へつくと小学校の先生と移動図書館の指導員たちが図書室内の校長室兼応接室で移動図書館のすすめ方について打ち合わせをした。九人の教員のうち、六人が参加。校長先生はじめ三人の先生は会議などで不在という。
「きょうは一日目ですので、わたくしたちもちょっぴり緊張しています」ときりだしたプリッサナー先生が移動図書館についてひととおり概要を説明すると、ドーンハーン小学校の先生から質問がでた。
「移動図書の具体的な活動内容はどうなっていますか」
「まず最初に全校児童にあつまってもらい歌をうたったりしたあと、五・六年生、三・四年生、一・二年生の三班にわかれます。それぞれにわたしたち指導員がひとりずつついて、読書・プリント学習・ゲーム・絵・作文などを一時間から一時間半ちかくおこないます。そのあともう一度全校児童が一か所に集合して、合同でゲームをしたり人形劇・音楽劇の鑑賞会をひらいたりします。またディズニーのアニメのビデオなども予定しています。活動に必要な本の木箱・ゴザの出し入れなど準備・片付けも子供たちの自主性を尊重し、すべて児童たちにやってもらいます」
小学校の先生と指導員の話し合いがおわると、プリッサナー先生らの指示で児童たちはゴザを図書室前の木陰にしいた。そこへ全校児童百三十人が行儀よくすわった。子供たちのいるすぐ横に移動図書館のワゴン車がとまっている。
クローンゲーオ先生が子供たちの前にたった。
「みなさんおはよう。きょうも暑くなりそうですね。あそこの車にかいてある文字を読めますか」
子供たちはいっせいにふりむいた。そして声をそろえてワゴン車の横腹にかいてある紺色のタイ文字を読む。
「コンケーン大学人文社会学部移動図書館!」
ついでプリッサナー先生がたずねる。
「移動図書館は何年間、ドーンハーン小学校で活動しますか」
「二年間です」
「はい、よくできました。一カ月に二回移動図書館はやってきます。車は二台あって両方とも『移動図書館』とかいてあります。人さらいの車ではありませんから、心配しなくていいんですよ(注1)。活動にはいる前に、そうですねえ、だれかに一曲うたってもらいましょう」
六年生の女の子がひとり前にでた。自分の名前と歌の題名をいってからうたいだす。イサーンの民謡のようだ。きいている児童たちからごく自然に手拍子がでる。歌声をききつけて、幼稚部の子供たちが教室から外へでてきた(注2)。すると幼稚部の年長の女の子だろうか、「みんななかへはいらなければだめよ」と大声でなんどもくりかえし、幼児たちを教室へつれてゆく。しかしすぐにふたり、三人と教室からちいさい子供たちがとびだして、すこしはなれた所から移動図書館の活動の様子をながめている。
六年生の女の子がうたいおわると、プリッサナー先生が女の子の肩をやさしくだいて質問した。
「とってもいい声でした。朝ご飯をたくさんたべたからかな。きょうの朝はなにをたべたの?」
「魚です」
「あなたは魚がすきなんだ」
「はい」
「きっと魚のすきな子は歌がじょうずになるんだね。みんなも魚をたくさんたべようね」 このあと「本は友だち」の歌を練習し、クローンゲーオ先生とニッタヤー先生が白雪姫やシンデレラなどの「とびだす絵本」を一ページずつ紹介した。立体化した絵があらわれるたびに子供たちは「ウワォー」と歓声をあげてよろこび、おどろく。他の小学校でもそうだったが、白雪姫・シンデレラの話はみんなしっている。
クローンゲーオ・プリッサナー・ニッタヤー先生たちは子供たちの関心をそらすことなく、子供たちの心をぐいとひきつけて指導している。子供たちがつかれたり、すこしでもあきてきたそぶりをみせると、すぐにかんたんな手遊びなどをとりいれて気分転換させ、子供たちをじょうずにのせてゆく。
このときも、「本は友だち」をおしえたあとや「とびだす絵本」を披露したところで、「果物手たたきゲーム」(注3)などを合間にいれてメリハリをつけている。
午前十時二十分、児童たちは三班に分散した。
五・六年生は本のはいった青い箱とゴザなどを手分けしてもち、運動場すみの木陰へ移動した。果物手たたきゲームや早口ことば(注4)であそんだあと、プリッサナー先生が大型の絵本をつかって本のもち方とページのめくり方を指導した。
つづいて読書感想ノートと青のボールペンを全員にくばり、午前十時五十分読書がはじまった。プリッサナー先生が児童たちによびかける。
「いまから二十分間で本を一冊読み、読書感想ノートに本の題名や感想をしっかりかいてください」
プリッサナー先生は本を何冊かまとめて二、三人の子供へ手渡し、その子たちが順に他の子供たちへ本をまわす。
読書にはいり五分ほどたったころ、絵本をもたずにだまってすわっている女の子がふたりいるのが目にはいった。プリッサナー先生もそのふたりに気づき声をかけた。
「どうしたの。本がないの?」
五・六年生の指導に参加していたドーンハーン小学校のベテラン女性教師がすかさず注意した。
「だまってすわっていてはだめですよ。本を手にしていなかったら、『まだ本をもらっていません』とおおきな声でしっかりいわなければいけません」
ふたりの女の子ははずかしそうに笑いながらプリッサナー先生から一冊ずつ絵本をうけとった。
子供たちは一心不乱に本を読んでいる。だが五・六年生対象の本でもすべて、おおきな絵のはいった絵本。日本なら小学校低学年あるいは幼稚園の水準か。そのうえ五・六年生は、文章のすくないこの手の絵本を読むのがやっとである。本をめぐる事情は日本とイサーンとでこれほどちがう。
三・四年生は、バレーボールコートちかくの日陰にゴザをしいた。すぐ横手がうっそうとした森になっている。子供たちの自己紹介につづいて、ニッタヤー先生が読書感想ノートの束とカゴにはいった鉛筆・消しゴムを子供たちへまわした。子供たちはノートを一冊ずつ、鉛筆を一本ずつとり、読書感想ノートの表紙に名前などをかきはじめた。
「おしゃべりしてないで早くかきましょう……かけましたか」
「はい、おわりました」
「そうしたらきちんとすわって。いまからピム先生が本のただしいあつかい方をおしえてあげます。本は左手でもちます。左手はどちらですか」
他の小学校でもよくみられた光景だが、まちがって右手をあげる子がかならずいる。ここでも三人ほど右手をあげてしまい、まちがいに気づくとニヤッと照れ笑い。子供たちは読書感想ノートをつかって本のもち方などを練習した。
読書時間はおよそ三十分くらいで、午前十一時十五分ごろまでつづいた。ひとりで二冊読破した子もいた。
図書室前の木陰で活動にはいった一・二年生もまず自己紹介から。ひとりおわるたびにクローンゲーオ先生が「いい名前ですね」「まあ、きれいな名前」「君の名前はとてもかわいいね」などとかならずひとことずつそえた。
クローンゲーオ先生が横の青い木箱から動物を主題にした絵本を一冊とりだした。そしてゆっくりページをひらいてみせる。ページがおりたたみ式になっていて、おおきく横へひろがる。子供たちはちかづいてながめたり、手でさわったりしている。
絵本「正直者の子豚ちゃん」の読み聞かせのあと読書にはいった。子供たちは一列にならび、ひとりずつ青い木箱へ本をとりにゆく。男女別にまるくなってすわり、本を読みはじめた。
一年生はまだ文字をほとんど読めないので絵をながめているていどだ。二年生のなかにはおおきな声にだして朗読調で読書する子もいる。低学年のわりにはおとなしく本にむかっている。それでも十五分もたつとあきてきたようで、となりの友だちとおしゃべりしたり、あくびしたり、本をウチワがわりにしてあそぶ子などがふえてきた。
午前十一時二十分、全校児童がふたたび図書室前に合流した。ニッタヤー先生が歌「手をあらおう」をおしえ、解散。子供たちはそれぞれの教室へもどっていった。
(注1)イサーンではさいきん白いワゴン車による子供の誘拐が頻発しているため、こういう発言をプリッサナー先生がした。
(注2)移動図書館の対象となる子供は一年生から六年生。幼稚部の子供たちはまだ文字の読み書きができないので、活動にくわわるには無理がある。ただし最後に合同で人形劇などの鑑賞会をやるときには幼稚部も参加している。
(注3)たとえばパパイヤ・ミカン・マンゴーのみっつの果物をえらび、それぞれに手をたたく回数をきめておく。かりにパパイヤは一回、ミカンは二回、マンゴーは三回とする。クローンゲーオ先生が「マンゴー!」「パパイヤ!」などとすばやく連続して言ってゆく。それにあわせて子供たちも手を三回なり一回なり即座にたたく。これがけっこうむずかしい。果物の名を言う速度をしだいにあげていくと手をたたきまちがえる確立がさらにたかくなる。短時間のちょっとした息抜きには最適だ。単純な遊びだが、村の小学生たちのあいだでは人気がたかい。
(注4)「なまむぎなまごめなまたまご」の類の早口ことばがタイ語にもある。たとえば「ぶたインクえび」。タイ語には五つの声調があるうえ日本語にはない発音があるので正確には表記できないが、あえて日本字でかくと「ムー・ムック・クン」となる。ムー(豚)は口をつきだすようにして発音する。日本語の「う」にちかい。ムック(インク)は口を「い」の形にして「う」と発声する。クン(えび)も日本語の「くん」にちかい。さらにそれぞれ上がったり下がったりの声調があり、この三語をつづけてなんどもくりかえして言うのはわたしたち外国人はもとよりタイ人にとってもとてもむずかしい。
杉浦 直樹
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