タイの花木走獣

パン吉の夢 24


 バス・ボーイをやめてから二年目というと、発病してから三年目ということになろうか、パンの容体は目に見えて悪くなった。

 モンデット先生に聞けば、いよいよ難しい時期に入ったという。

 薬も代えなければならないし、検査も頻繁になる。月々の費用は倍になるだろうという予告であった。

 病状が進んだパンにモンデット先生が与えた新薬は、彼とは相性が悪かった。

 病院から帰ると、部屋に入ったまま出て来ないのだ。夕方になって台所に出てきたパンに質すと、新薬を飲んだとたんに目眩がして、吐きたくなるという。

 先生に頼んで、もとの薬に代えてもらったこともあった。

 でも治療というか、抗体保存というか、の手段は確実に激しくなった。

 薬飲んでも、具合悪いし。

 それに高いしなぁ。

 そんなことを考えていたのだろうか。

 朝夕の涼しい頃、庭のターベーブーヤー樹の下に座って、遠い目を空に向けていたパンの姿が目に浮かぶ。

 彼が他人に恩を受けることにこだわっていたことは既に述べた。

 働ける限り、給料はやるし、病院代も会社が払うという言葉にうなずいたパンだったが、新薬を試みた後、具合が悪くなると、例の「クレンチャイ」が戻ってきたらしい。

 以前にもバス・ボーイ仲間たちにこんな風に言っていたことは、私も聞いていた。

 「可哀相だよ、タオ・ケーが。俺の為にもう何十万も使ってしまって。これ以上、タオ・ケーに面倒かけたくねぇ」

 タオ・ケーとは中国語の頭家。この場合は雇い主である私のことを指していたらしい。

 月給と手当てを合わせても、月々八千バーツほどだった二十七歳の青年にとって、一回行く度に二万近くまでに上がった病院代は何としてももったいなかったに違いない。

 私たちだって、パンの病状が進んで通院費用がかさむようになると、その費用捻出は楽ではなかった。

 タイの旅行業界は一年を半分で暮らす。ということは以前にもどこかで書いたことがあるが、タイの一年は雨季と乾季に峻別され、その雨季の間はタイ人は旅行しないのだ。乾季の中でも三月、四月、五月は猛暑で、駐在一年目の日本人ならずともクーラーかけて家でヴィデオでも見ていたい人は多いのだ。

 タイ人でも、日本人でも、旅に出るのは雨季が開ける十月半ば以降で、それから新年を挟んで暑くなる迄の四か月あまりが、タイ旅行業界の稼ぎ時なのだ。

 レヌカー・アンド・カンパニーも毎年、この時期になるとほっと息を継いだ。

「これでやっと花バスの保険料が払えるわ」

 こんな具合であるから、夏枯れの最中に毎月二万から三万という金がただただパンの治療費の為に出て行くのは辛かった。

 でも、やりかけたことはやらなければならない。

 サミッテベートだけを信じるわけではないが、一応理屈にあった診療を受けているのだから、病院は変わりたくなかった。

 ただ、薬があまりに高いので、もっと安く買えないかと、チュラ大の知人に聞いたりしたこともあったが公立病院では使わない最先端の新薬であると分かって、モンデット先生への信頼を一層増したことを覚えている。

 ただ、嫌な新薬を飲むパンは苦しかったらしい。

 それに思うように働けなくなったことも辛かったらしい。

 こんな苦しい思いして、タオ・ケーに高い金を払わして・・・エイズになったら、こんな風にまでしなければ生きられないのか?

 金を払うだけの私だって暗澹たる思いだったのだから、病人のパンはもっと悩んだに違いない。

 そしてある日、彼は私に頼んだのだった。

 「バンコクは暑くていけねぇ。

 奥さん、俺、田舎へ帰っていいでしょうか。郷里で暮らしたいんです」

 そんなこと言ったって・・・パン、薬はどうするのよ。二週間に一回はモンデット先生の所へ行って診察を受けなければならないでしょうに。

 「薬は送って貰うことも出来るしチェンコーンにも国立病院はあるんです」

 タイにごまんとある会社の中には雇い人が病気や怪我で助からないと分かると、まとまった金をもたせて田舎へ帰すことがある。

 でも、そんなことは出来ない。

 具合の悪いパンをこのまま田舎に返す訳には行かない。

 でも、パンは田舎に帰りたいと言う。

 それで、モンデット先生に電話して聞いて見た。。

 「パン・セーンチャイですが、どうでしょう。この頃具合がよくありませんが、このままだとあとどれくらい生きられますか?」

 長くて一年という答えを聞いて、私は驚いた。

 病気はそんな所まで進んでいたのか。

 このまま寝たきりになってしまったら、この家で面倒は見られるのだろうか。

 シーとシーダーに聞いて見た。

 「食事はつくりますよ。旅に出る日は駄目でも、後の日なら洗濯もしてやってもいいですよ。

 でもつまらないでしょう。あの部屋に寝たきりでは。

 それから、もっと具合が悪くなって、下の世話をしなければならなくなったらどうでしょうかね。

 クン・プーチャイ(男主人の意味私の夫を指す)も寝ていらっしゃるし、手がまわらないかも知れませんね。

 それにエイズのおしっこの始末して本当に問題ないのでしょうか」

 これまでは一丸となって来た社内であるが、パンがよいよいになったら難しい問題が出てくるかも知れない。それは正直に言ってもらって良かった。

 何言っても、私は口だけ、金だけであって、実際にこの家と会社を動かしているのは、地女たちなのだから。

 ソムチャイはと言えば、パン可愛いさの気持ちは変わりないながら、この男、清潔好きなのでエイズが怖いのだ。

 いろいろあるから、パンは田舎へ帰そう。先生が言うように後一年の生命なら、好きな田舎でのんびりさせよう。

 薬は送ろう。生活費として、基本給を送れば、田舎のことだから暮らせるだろう。

 それに建てかけの家はどうなったのか。あれも完成させなければならないではないか。

 パンに家の話をすると、一瞬顔が明らんだ。

 具合の良い時に少しづつ作業を続けたいという気もあったのも知れなかった。

 パンを郷里に帰すことにしたと聞くと、モンデット先生はこれまでの病状を記したカルテと二か月分の薬を渡してくれた。

 パンの別れは飄々たるものだった。

 郷里へ帰るとなると、気も楽になったのだろう、昔の冗談やひょうきんな振りも一瞬戻った風があって、心が温まった。

 私の母は涙を滲ませて、パンに白封筒を渡した。

 そして、大勢の犬に門まで送られパンは一人でメコンのほとりなるチェンコーンに帰って行ったのだった。                 

つづく

レヌカー・M


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