移動図書館日記
〜巡回寺子屋教室イサーンをゆく〜
九六年六月五日(水)=午後= ノーンパヨーム(小)
ノーンパヨーム小学校は、フアインラード小学校の東方、十キロほどの所にある。地図を参照していただければわかるが、学校のすぐ西側を国鉄の線路がはしっている。国道からかなりはなれた場所だけに、とても静かなのんびりとした学校だ。地図にはないが、鉄道と反対側、学校のすぐ横を水路がながれている。
午後一時ちょうどに移動図書館の一行がノーンパヨーム小学校に到着した。線路の踏切をわたるとそこはもう学校の入り口だ。なかへすすんでゆくと、移動図書館のワゴン車に気づいた児童や教職員らが校舎から外へでてきた。
校舎はぜんぶで三棟。北側にならんでたっている。反対側はひろい運動場、突き当たりにはおおきな池がみえる。門に一番ちかい校舎は平屋で、かなり老朽化している。床も壁も天井も穴だらけ、すきまだらけだ。四年生がここで勉強しているという。真ん中の建物は高床式で、二階に二年生・五年生・教職員室と三部屋そろっている。六年生の教室は高床式校舎の一階部分。土がむきだしの地面の上にふるい机といすを置いて教室としてつかっている。もっとも奥にある平屋校舎は幼稚部(注1)・三年生・一年生の教室がおさまっている。
全校児童は高床式校舎の下へあつまり整列した。
なつかしい顔がみえる。
一九九五年三月にわたしはノーンパヨーム小学校のとなり(といっても両校の距離は直線で三キロほどもある)のターマオ小学校を取材したことがある(注2)。ターマオ小学校は村の分校のような存在で、当時もいまも(一九九八年三月現在)小学一年生から四年生までしかない。だから五・六年生はノーンパヨーム小学校へ徒歩や自転車などで通学している。取材したときは全校児童がわずか十三人。しかも四年生に該当する児童はいなかった。
そのころ最上級生だった六人の三年生がいまは五年生としてノーンパヨーム小学校にかよっている。いや、かよっているはずだ。ひとり、ふたり、とターマオ村の子供たちをわたしはさがした。
歌のうまいアヌソーン君がいる。恥ずかしがり屋のダープチャイ君に、けんかっ早いがさっぱりとした気性のポンパーンちゃん、妹となかよくターマオ小学校にかよっていたブッサボンちゃん、そして児童のリーダー格のワッサナー=チエンサイちゃん……。だがひとりたりない。あの子だ。ワッサナー=デークントッドちゃんの姿がみえない。病欠だろうか……。そうではなかった。
ノーンパヨーム小学校の先生によると、ワッサナー=デークントッドちゃんは、ことし(一九九六年)の三月から五月の夏休み(注3)にバンコクへ出稼ぎに行く両親について村をでたきり、六月になってももどってきていない。音信不通だという。書類上は在籍していることになっているそうだ。
この子はまずしいターマオ村のなかでもとりわけきびしい生活をしいられていた。母親が結婚・離婚をくりかえし、一年のほとんどを親と別居しているなど家庭環境にさまざまな問題をかかえていた子である。
高床式の校舎の下に整列した児童たちをながめながらわたしが思いをめぐらしているあいだ、移動図書館の三人の指導員たちは校舎二階の教職員室でノーンパヨーム小学校の先生たちと事前の打ち合わせをしていた。
(注1)イサーンの農村部には幼稚園がない。そこで村の小学校に幼稚部を併設している。ただし学校によっては教室などの設備や教員数が不十分で、一年生を担当する教員が幼稚部の二学年(日本式にいえば年長組と年少組)をうけもっているといった例もある。
(注2)バンコク週報一九九五年十二月十五日〜二十一日号から一九九六年八月二日〜八日号に「イサーンの村の小学校〜ぼくらの学校は十三人〜」として掲載された。
(注3)タイでは四月を中心に三月から五月ごろが一年をつうじてもっとも暑い。イサーンの小学校も三月後半から五月なかばごろまで長期の休みとなる。
杉浦 直樹
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