タイの花木走獣
パン吉の夢 十七
しばらくして、また長い旅の途中で、パンは倒れた。
その頃は、こうソムチャイが言っのを覚えている。
「パンはエイズなんじゃないか?
ぶつぶつと皮膚に吹き出物ができているぞ」
私は笑った。
会社の真面目女のシムもたしかその場にいたと思う。彼女もとんでもないという顔をした。
「あの人に限って、そんなことはありませんよ」という意味の英語句に、ザ・ラスト・パーソンという語を使って、「そんなことをする最後の人」なる言い回しがあるが、私はパンはエイズにかかる最後の人と思っていた。
エイズはたしかにタイ全土に蔓延しており、性に目覚めた若者たちはその危険にさらされているが、わが社の猿吉パンはそんなものとは無関係とたかをくくっていたのだった。。
パンを呼んで聞いて見ようということになった。裏の使用人部屋から呼ばれたパンは、具合は悪そうであったが、まだ元気だったのだろう。
あんたがエイズだっていう人がいるけれど、まさかねぇという私の言葉に例のポーカー・フェイスでこんな言葉を吐き、会社を更なる爆笑で包んだのだった。
「ポム・コ・ミー・シッティ・ペン・エィズ」(私にだって、エイズになる権利はありますさ)
そして、哀しいことにその権利をパンは享受したのだった。
ある日、バスのトイレ掃除をしているパンの手を見て、私は驚いた。
あんた、何、これ、皮膚病?
指という指の甘爪がささくれだち、腫れ上っている。吹き出物は手の甲から手首に続き、捲くりあげた白シャツの袖の中に消えていた。
説明しようとするパンの声はかすれて、はっきりしない。
この前にカメリア病院に行かせた時は、容体の悪い原因がはっきりしなかった。
医師の診断書には、クワームトーターン・ピエンマイポー、抵抗力が不十分と書いてあった。
これは免疫がなくなっているということなの?
パンに聞いても、彼ははっきりさせるのを避けているような感じを顔と身体に漂わせていた。私を遠巻きにして暮らす姿は、まだ人に馴れぬ野性動物を思わせた。
ソムチャイはパンは絶対エイズだと言い張った。黄金の定規通りのバス業界の中でも、顔見知りのバス・ボーイたちが次々にエイズの兆候を顕著にして、去っていくことが多くなっていた。その子たちが見せた病状に、パンの様子が似通っているというのだ。
素人が門の外で悩んでいても、しようがない。
私はすぐさま、パンを連れて、サーミットテベート病院へ行って、皮膚科の先生に見てもらった。
女の先生の診断では、パンの手には大変な数のバイ菌がとりついているそうだった。身体が痒いことも、初めてパンは訴えた。
エイズにかかっているかどうかはさておき、まずこの先生は対症療法で塗り薬と飲み薬でパンの症状を軽くしてくれた。そして、その後でエイズ専門医のモンディット先生に送ってくれたのだった。
下痢が続くことと言い、皮膚の吹き出物と言い、かすれた喉と言い、エイズ発病の兆候のようだけれど、はっきり調べて見ましょう。
それから、まだ若い長身の大男先生は身を乗りだして、私の顔を見た。
それで、うかがいますが、レヌカーさん。貴女はどういうつもりで、このテストをさせるんですか?エイズなら会社を辞めさせるんですか?そして、田舎へ帰します?
それは予期した質問だった。
いぇ、この男はよく働いてくれています。私がこの男の検査をしてもらいたいのは、真実を知って、対策をたてたいからです。エイズにかかっていたって、辞めさせるようなことはしません。
それを、この男に言って下さい。
そう言って私が部屋を出ると、それまで部屋の外に座っていたパンが呼ばれた。
先生の話を分かったのか、パンは検査を承諾した。
二日後、結果が分かるという日。
私はまず病院に行く前にモンデット先生に電話をかけた。
「やはり陽性でした。それも発病してかなり経っていますね。免疫力がひどく損なわれている」
やはり、そうだったのか。
目の前が真っ白になって、真空の中をふわふわと漂っているような気分だった。嘘のように明るい空の下を病院に向かって車を走らせる。真実を知っているのは私とソムチャイだけ。パンはまだ知らない。
本当にそうだったのか。パンは既に感づいていたのではなかったろうか。私には言わなかったけれど、他の病院で既に言い渡されていたのではなかったか。
パンは私が真実を知ることを恐れていたのだろうか。
私も怖かった。
真実を知ったら、パンが逃げて行ってしまうのではないかと怖かったのだった。
モンディット先生も、彼が逃げるのではないかと思っていたらしい。
まず、順序として(今考えて見ればこれが法律的に正しい順序であったのかどうかは疑問があるが、パンに対処するにはこれが結局最良の方法であったろう)雇い主で金主である私が、先生から正式に検査の結果を聞いた。
通常の人なら一万を越えるレベルにある免疫力(今となっては全てがおぼろで、病院からもらった記録をひもとかなくてははっきりしたことは言えないが、確か白血球ではなかったろうか)も、パンは確か、三十四だったろうか。二桁でも低い方の、驚くべく数値であった。
エイズというなら、しようがない。
それは頭の中にインプット。
でも、これで終わりってことではない。まだ、死んでいないのだから。長く生き続ければ良いのだから。
私が恐れたのは、絶望したパンが森に逃げこんでしまうことだった。
チェンコーンの山に帰ってしまうことだった。
先生、お願いします。
私はタイ語が下手でうまく言えませんが、分からせて下さい。
会社で働いていて発病したんだから、面倒見るから安心しろと言って下さい。
先生の言葉。
いや、これは大分前にかかっていますね。この数値では少なくとも、四年前ですね。
サムットプラカーンの漁港にいた時だ。船員相手の店だろう、ソムチャイの声が暗く響く。
それはどうでもいいんです。
パンはレヌカー・アンド・カンパニーで働いていて、発病したのだから、会社が面倒見ます。そう言って下さい。そして、あの子、本当に他人の世話になるのが嫌いだから、言ってやって下さい。
まだ、あんたは働ける。
お前は他の人たちより勤勉でよく働く。誠実だ。お前はプラヨードがある。利用価値がある。だから、会社はあんたに働いてもらいたい。
これはブンクンではない。恩を受けるのではない。お前は働ける限り、働く。病院代は会社が払い、給料もやると言って下さい。
先生、あの子が逃げないように、絶望しないように、言ってください。
レヌカー・M
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