タイの花木走獣
パン吉の夢 十二
庭木に水をやる横顔が暗くなったパン。裏庭の石のベンチに腰掛けて放心したような顔で空を見あげるパン。
そんなことは前にもなかったわけではなかったけれど、あまり回数が多くなると、こちらも心配になった。
問いただした結果、彼がデク・ロットを続けることに疑問を抱いていることを知った。
「運転手になれたら・・・・」
そうなったら、女の子にも尊敬してもらえる・・・・・言葉の後にそんな気持ちが読めた。
ソムチャイは笑ったが、私は良いことだと思った。上昇指向はおおいに結構。日本だって、二昔前まではこんな青年たちの夢に支えられて走ったのだった。
青年の夢が経済の推進力となるのはタイだって同じだ。
タイの「おしん」か。
パン吉、がんばれ!
私はパン吉と一緒に夢を見たいと思った。
その当時、わが社には一台のヴァンがあった。それは買った当初は灰色であったのだが、大バスの色を決める段階で、試験台にされ、色々に塗られたものだった。
色々と書いたが、レヌカー・バスは始めから、白の地にパステル・グリーンとピンクで花模様を描くことになっていたので、問題となるのは三色しかない。
パステル・グリーンとピンクを選ぶのは、それほど難しくなかった。
しかし、地の白が問題で、気に入った色を得るまでには、時間も金もかかったのである。
白と言っても、色々なシェードがある。アップル・グリーン、スモーキィ・ホワイト、ミルク・ホワイト。チェードチャイ社が勧めるICAのペイントには多様な白の世界があった。
最初にヴァンが塗られたのは、ミルク・ホワイトだったろうか。五万バーツもかかったのに、それを見た瞬間、口に出たのは
「ロット・ラチャカーン」
公用車と言えば、聞こえは良いが官庁の印をつけて走っている車。一番安い車である。
苦労して選んで、金かけて塗ったのに何だということで、がっかり。次は煙の白。塗り上がって見れば、これも寂しいでき上がりであったがもう次の色を塗る予算は残っていないので、その上にレヌカー印なるチョンコーの花を描かせた。
それがすごかったのだった。
バスの絵は、チョードチャイ社の絵師が描いてくれるのだが、それにはお手本がいる。それは当時、国際交流基金の日本語教師だった浦真佐子さんにお願いした。彼女は油絵の出身で、ペルーで花の絵を描いていた人である。
試験台になったヴァンにチョンコーの花を描くのにも、浦さんにお手本を描いていただいた。それに加えて、実物のチョンコーの花も、特徴のある双葉も、庭から手折って持たせたのだった。
それがコーラート高原を降りて会社に戻って来たヴァンを見て、あっと驚いた。
これはチョンコーではない。
桃色の蘭の花に蘭の葉っぱ。それだけでも憤懣ものであるのに、枝上にブルーの「のどしろかわせみ」が、さえずらんかのように口を開けて、止まっているのであった。
「なに、これ」
怒るより、何より、驚いた私は、すぐさま浦さんに電話した。すぐさま駆けつけた浦さんには、坂本所長が付き添っていた。
それは良いアイデアだったと思う。
帰国前の忙しい中を、時間を都合して描いた下絵がみるも無残なというか、似ても似付かぬものに仕上がってしまったのを見て、浦さんは大層がっかりして、べそをかいたのだったから。
それでも、結果としては、この大失敗は良かったのだった。この件を通して、浦さんも私もチョードチャイ社の絵師の技量を知ったのである。
あの人たちに真似出来るような絵でなければ駄目だ。という訳で出来上がったのが、現在のレヌカー・バスの切り紙細工のような花絵である。あれなら、失敗のしようがない。
極彩色の花鳥を描いたヴァンは、菓子屋の車とか、サーカスの車とか色々言われ続けながら、しばらくはレヌカー&カンパニー社で働いていた。
ハンドルがかたいと、ソムチャイが嫌がったが、あれは何よりも目立つのが迷惑だったのではないか。
当時彼は空港近くのトゥン・ソン・ホンの女の子とつきあっていた。そこはバスの置いてあるスカニヤ本社の近くなので、ガレージへの往復についついそこへ寄ってしまうというのは、小石男のソムチャイとて自然に湧く人情であろう。
ところがその子の働いている家の前にこの「ピンクの蘭とブルーのかわせみ」の車を止めて置くと、目立つのだ。
「ソムチャイはここにいます」と宣伝しているようなものだ。
運の悪いことには、「サウジ・アラビアの奥さん」の子分がその近くに出入りしていた。
こんな訳で、派手なヴァン故に地味なソムチャイの隠密行はすぐさま社内に知れ渡ったのであった。 続く
レヌカー・M
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