タイの花木走獣
パン吉の夢 十一
「レヌカー&カンパニー社」の誇る二階建てバスのバス・ボーイとして活躍したパン吉であったが、実は彼はすでにその頃に二十三、四歳を越えていたのだった。
バス・ボーイのキャリアは大体十四、五歳に見習いから始まって、だんだんと仕事を覚え、一人前になった頃に満二十歳の年の四月の徴兵検査となる。
そのくじ引きにあたらなければ、勤め続ける。当たれば、二年の軍隊勤め。まっすぐ行くか、寄り道するか、どちらにしても、二十四、五歳になれば、デク・ロットのキャリアはその究極に到達する。そして、ボーイは考え始まるのである。
車を降りて、別の道にすすもうか、それとも運転手に昇格する道を模索しようか。
タイのツアー・バスの運転手たちは半分がデク・ロット上がりである。中国系が多数を占めるオーナー達は移民だから、手拭いならぬパー・カマー一本で都会に出て来て働く田舎の青少年たちの価値をよく知っている。良い主人のもとには、勤勉な使用人が長く居つくのだ。
レヌカー&カンパニーのデク・ロットなるパン吉はすでに会社に勤め始めた時に二十五才になろうとしていた。だから、一年ほどたって、彼が物思いにふけるようになったとしても不思議はなかった。
そもそもは久しぶりに田舎へ帰って幼なじみの女の子と会ったのがいけなかったらしい。
その子を好きなのか、どうかははっきりしなかったが、「まだ、デク・ロットやっているの」とぐらい言われたのではなかったか。
タイ語のデクを日本語に訳せば、一番近いのは小僧だと思う。
私の長男はもう三十何歳かになるが、かつてヴァチラウッド・カレッジという王立寄宿学校で学んだ。転校まもない頃、彼はデク・マイ(新入りの下級生)として、同じ寮に住む上級生たちからいじめられた。
夜中の一時、二時になっても寝られず、上級生の為にインスタント・ラーメンをつくったり、給仕をさせられたりした。デク、デクと呼ばれて、使われたのである。
タイというのは序列社会というか人を使う、人を見下すことをなによりの喜びとしている所があるように思える。
かつてライシャワーは日本社会を仕事指向として、地位指向の中国社会と比較した。タイ、タイと言っても、自分のまわりを見渡せば、上層はほとんどが中国の血が入っている。序列社会的傾向がどこまで、タイでどこまで中国の影響か知らないが、なにしろ、現代のタイ社会に生きる人たちはデクを使うことを喜びとしている。
誤りを正されて、謝る代わりに
「デクがやったから、こうなりました」
金を取りにこいと言われて、「デクをやります」
お茶をこぼして恐縮するお客に、
「ご心配なく。デクに拭かせますから」
まったく、デクがいなかったら、タイ社会は動かないのだ。
デクにやらせるという言葉を使う立場になりたい。それはタイ社会では誰にとっても憧れであるらしい。
社長兼小遣いが一人しかいないような超零細企業のオフィスで、社長兼オペレーターが「デクにやらせますから」と話しているのを聞いて、誰のことかといぶかったことがある。もしかしたら、あれは幼妻のことだったかしらん。
わが社のメッセンジャーを二年勤めたプラトゥワンはこの間、複数の女性関係がもつれ、パンク寸前のところを田舎から来た妻に連れ戻されてしまったが、蒸発近く、私は彼がある言葉を使うのを聞いて、この男ももう長くないなと直観したのであった。
私の命令で植木屋から園芸サプライを買いつけた時、プラトゥワンは、園芸用土を運んできた六輪トラックの運転手に気取った声でこう言った
のである。
「デクにやらせるから、そこら辺に置いておいてくれ」
誰がデクだ。シー、シーダー、メオはあんたのデクではないよ。金払って土買った店の運転手に運ばせないで、いい顔したいなら、お前が運べ。私の下には私しかいず、お前の下にはお前しかいない。デクはお前だ。
本当に上から下まで、タイ人はデク病なのである。
こんなわけであるから、二十五歳を迎えたパン吉がデクである自分の身の上に不満を抱いたとしても不思議はなかったろう。
デク・ロットが嫌なら、ポー・ロットになるか。ソムチャイはからかいながら、運転手へのキャリアの道を進むことを示唆したのであったがこればかりは適性という問題がある。
運転手は誰でも出来るという訳ではない。ましてや人をあずかる旅行バスの運転手となると、危ない人、運転にむかない人には絶対ハンドルは握らせられない。
続く
レヌカー・M
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