タイの花木走獣

パン吉の夢 八


 

 「デク・ロット」と呼ばれるバス・ボーイの生活は過酷である。

 あの大きなバスを一人で磨くのだ。

 熱帯のタイのことだから、お客様が食べ残された菓子の一片、飴一個でも車の中に放置してあれば、すぐ蟻がやってくる。巣をつくる。

 果物などの匂いも残る。

 コーラがこぼれても、すぐ濡れ布巾で拭かないと、大変なことになる。ビロードのシートが駄目になるのだ。床に敷いたゴム布も傷む。

 常に拭いていなければならない物には、シートの両脇の手すりと飲み物を載せるトレーがある。

 大きなガラス窓だって、フィルムが張ってあるのだ。それを傷つけないように、梯子をかけて、洗剤とスポンジで洗ってから、乾かし、ガラス磨きでもう一度磨く。ガラスは内側からも磨かなければならない。

 そして、トイレ。

 これが問題であった。

 自分のバスを持つまでは知らなかったことであるが、バス用のトイレというか、トイレのついたバスというか、これのメンテナンスは大変手間のかかることなのだ。

 手間をかけて保守しても、根本的問題は解決されないから、苦労多くして、報われないのがバスのトイレである。

 かつて自分のバスを持つ迄は、トイレ休憩に旅の時間をけずられるのがもったいないと思っていた。

 特に女性はトイレの使用時間が長いし、頻度も多い。

 この頃は混雑がひどくなったので週日の旅はあまりやっていないが、もともと「レヌカーの旅」の原点は週日の主婦たちの旅であった。それから土、日の旅も行うようになったのだが、この土、日と週日の旅を比べると違うのがトイレ休憩である。

 週日の旅に二十人の女性がいらした場合と日曜の旅に四十人の男女がいらした場合を比べると、旅程は週日の方が一時間遅い。その理由は色々あるが、一つはトイレである。

 そんなこともあって、あまり物を考えなかった私は、自分のバスに清潔なトイレをつければ、トイレ休憩に時間を取られず、楽に旅できると思ったのだった。

 「バスの中にあれば皆が順番に入れるし、一か所で一時に殺到することもないわ」

 それは浅はかな考えであった。

 バスを買う前に抱いていた数々のとんまな夢をともに、現実の前に霧散してしまうことなるのだった。

 バス用のトイレというのは、鉄道のトイレとは根本的に違うのだ。それすら、私は分かっていなかった。

 いや、もしかしたら、新幹線のは違うかも知れないと書き始め、いかにも昔というか、田舎というか、バンコクという地方に住んで久しい自分の無知をさらけだす言い回しに気がついた。

 新幹線だって、走ってから三十年になるのだ。高速の鉄道では違う方式をとっているのかも知れないが、コンヴェンショナル鉄道トイレは「スロー・アウェィ・アズ・ユー・ドゥ・ビジネス」式の原点よりの投げ捨てであった。トイレの床から線路の砂利が見えたものだ。タイでもマレーシアでもこの方式をとっている。

 しかし、路上を走るバスには、投げ捨て方式はとれない。糞尿は溜めて走るのだ。

 レヌカー・バスのトイレはドイツ製であったが、小の方なら二十人ほど。大なら、ほんの数人で一杯になってしまうのだ。それに大は匂う。

 「匂いは漏れません」

 というのが、コーラートのチャチヤーイ社の弁であったが、実際はそうではなかった。

 電灯線を伝わるか、それとも壁からしみ出るのか知らないが、トイレで誰かが大をすれば、下の座席の人たちは何となく匂うのである。

 午後になれば、ほのかどころではない。非常にはっきりとした悪臭となって、旅行のさまたげとなるのである。

 しかたなく、見つかれば多額の罰金を覚悟で、田舎道の河べりの茂みで蓋を開くのだ。開いた直後はそれまでにも増した悪臭で、階下の全員が気絶しそうになるが、段々とそれは薄れていく。

 ガレージまで帰りついたバスの便所の瓶を再度洗って、中身を洗車場の下水道に捨て、何度も水でゆすぐのもパン吉の役目であった。

 それまでは、他のバスと同じである。八輪の車は大きくて、座席が多いから、六輪より仕事量は多くなるが、問題の性質は同じである。

 しかし、レヌカー・バスに働き始めたパンは、八輪バス固有の問題に遭遇したのだった。

 八輪バスは背が高い。

 中でも、レヌカー・バスは群を抜いて、全高四メートル二五センチを誇っている。

 高いバスの二階からチャオプラヤー平野をすみからすみまで見通し、コーラート高原の遠望を楽しむのは良いが、タイの現実とはそれはしばしば一致しないのだ。

 わが社のバスに電線を切られ、弁償しろと追っ掛けてくる爺さん婆さんを見ながら、つくづくと思ったものだった。

 大通りは良い。

 大抵のところでは法定の五メートル近くのところで電線が垂れている。

 しかし、そこから一歩でも奥へ入ると、それはタイ固有の世界。六輪でもない、蚊バスしか通れないような道なのだ。

 えてして、古都の古刹(こさつ)は、そんな通りの奥にある。

 垂れた電線、電話線の間を縫って上を見ながら、ジグザグ運転するソムチャイ。なぜか首をすくめているお客さまたち。

 寺までもう一息という所で前方に現れた一本の電線。もしかしたら盗電ではないかと疑いたくなるような稚拙さで電柱から分かれ、道路を横切って、反対側の民家の軒に入っている。その先には六十ワットの電球が一つついているほどのもの。

 それでもタイの民家は高床式だから、かなりの高さはある。でも大丈夫かな。駄目かな。これ切れば、誰が泣くかな。憎たらしい婆が怒鳴るか、愛らしい少女が飛んで出てくるか。

 界隈の連中も家から出てきて、この白象のような大バスが巨体をずらして電線の下をもぐろうとするのに大騒ぎしている。

 田舎の人たちにして見れば、面白い見せ物がわざわざ家の前まで来てくれたというところだろう。

 衆目を浴びると、なぜか一層の力が出るソムチャイがドスのきいた声をあげる。

 「パン、電線をあげてこい」

 いよいよ、出ました。

 待ってました。

 山猿パン吉の晴れの舞台である。

 あぁ、なつかしいな、パン吉。

 お前、よくやってくれたねぇ。

 あの頃、「レヌカーの旅」に参加していてくださった方たち、おぼえていらしゃるでしょう。

 皆が固唾を飲んで見つめる中をパン吉はバスの二階へ上り、その天窓から屋根に出るのだった。       

続く

レヌカー・M


[BANGKOK SHUHO]