タイの花木走獣

パン吉の夢 六


 

 さて、このクン・ナイ・サ・ウの本名がどうであったかなどは書く必要がないであろう。

 とにかく、黒光りした顔からして、いつもパーマかけたてというか、もう少し教養ありげに言えば、インド・グプタ美術の仏さまの螺髪を彷彿とさせるちりちり頭からして、北方より来たというタイ族には拒絶されそうである。気に入ったから、今そこの店で吊り下がりを買いました風の原色の服で栗色の巨体を包んだ様子からして、田舎町の市場の売れっ子スター風である。

 彼女は母親と「黄金の定規」通りの一軒家に住み、ソムチャイや他のCツアー社の運転手仲間の服の洗濯をしていた。ソムチャイが妹と彼女の家に下宿していたこともあるのは一九七十六年頃の話である。

 当時は大型バスの数も少なかったので、景気は悪くても、バスの稼ぎは悪くなかった。Cツアー社の運転手たちの話を聞き、彼女は野望を持ったらしい。私もツアー・バスの持主になろう。

 親族友人、ソムチャイからまで借金して、彼女は一台の中古ピックアップの頭金を払った。それを乗合バスに改造、Cツアー出入りの会計士に泣きついて、営業免許を取ってもらい都バス路線に出ると、ピックアップの後部にぶらさがり、カパオと呼ばれる切符切りをしながら、毎月の月賦を払ったのである。

 その後は、エアコンなしのチンチャクと呼ばれる安バスを手に入れた。この名の由来は、雨季あけの十月、十一月になれば合点がいく。工員や学生たちを満載して、いざ遠くの寺に寄進の旅に出ようというバスを見てごらん。チンチャク、チンチャクと拍子をとって、踊り狂っている。ロット・トゥアーと呼ばれるエア・コン・バスはそのはるか上におわします別世界の存在だ。

 さて、クン・ナイ・サ・ウに話を戻すと、彼女が念願のツアー・バスを手に入れるまでの話は、「やると思えば、とことんまで」「意思あるところに道あり」である。

 強引さにおいては、決して他人に遅れをとらないと他評され、自負しているレヌカーでさえ、まったくかなわないのだ。

 彼女のファンド・レイジングは凄い。自前の金は一バーツたりとてない身でオール借金で車を買った話はしたが、ツアー・バスを買った時には友人をかたらって無尽講をつくり、その金を一番先に落として、バスの頭金にしたのだった。

 クンナーイ・サ・ウには土地などないから、銀行などは金を貸してくれないのだそうだ。

 そんな彼女の金融機関はノンバンクもいいところ。思いたつと言うより、窮すると、彼女は自分で友達、縁者、とりひき先、ほんのさっき道で出会った人まで入れて、自分の資金集めの為に無尽講を開いてしまうのだ。

 パン吉をわが社に引き込もうという希望を私が心の中で温めている時も時、わが社の戸口に現れたクンナーイ・サ・ウは何番目かの講を手配中であった。彼女はとんまのソムチャイをうまくまるめこみ、金を出させ、あわよくばレヌカーまで仲間に入れようという魂胆を持っていたのだった。

 「ソムチャイ?あんた、無尽に入っておくれよ。キヤクも入ってくれたよ。Cツアーのチエーも二口」

 「今度はなんで金がいるんだい?」

 「今皆二階建てバスが流行っているじゃないか。私んとこのも二階建てにするんだ。チャチャーイの所で頭金は三十万でいいって言ってくれている」

 「六輪を二階建てにするのは、もうじき禁止になるって話じゃあないか?いままで通りでいいじゃないか」

 と言ったって、思い込んだら止められないのがクンナーイ・サ・ウと呼ばれる女の性であった。欲しいとなったら、それを得るまではじっとしていないというか、周囲を騒がし騒々しいこと甚だしい。

 何回かの訪問と電話の結果、ソムチャイが入り、会社が給料から前引きの形で小切手を出すことになった。先の日づけをつけた小切手を一月一枚だから十二枚。それを書いてやる交換条件に、私は言った。

 「あんた、今はサムットプラカーンに住んでいるっていうけど、パンのちかく? あの子と連絡してくれない? 私、あの子にうちで働いてもらいたいのよ」

 「そんなこと言ったって、今のタオケーが手放さないだろうよ」とはソムチャイの本音。

 やっとの思いで「黄金の定規通り」の中国姐さんの支配から脱したものの、その騒ぎで心も神経も大分傷ついた。もうそんな騒ぎは起こしたくないだろうソムチャイは神妙な声を出している。

 そんな遠慮はクン・ナイ・サ・ウには通じなかった。

 「ピー・ルワムはねぇ」というのは、Cツアーのもと運転手、今のパンの主人である。

 「何だか、商売がうまく言ってないらしいよ。女房が焼き餅やきで、泊まりが多い仕事は断らせんだってさ。もったいないね」

 それでは、パンだって、日当が少なくて苦労しているだろう。

 焼き餅焼きのルアム妻は、パンにも優しくないそうだ。

 ガレージに留めたまま車の中で寝泊まりして、炊飯器でもち米炊いて暮らしているらしい。

 あいつ、また、もち米以外は受けつけないからな。

 チェンコーンの山上から下りて、金の定規通りのCツアーに勤めるようになった頃、ほんとうに山だしの猿みたいだったパンの思い出話で座が沸いた。

 あんなつまらないところにパンを置いておくのはもったいない。レヌカー・アンド・カンパニーに呼んでしまえ。引っこ抜きとピー・ルアムが怒ったら、日本の会社だから、給料が倍なのだと言えば良い。それなら、分かってもらえる。

 と言うわけで、クン・ナイ・サ・ウはパン吉引き抜きの使者にたったのだった。        

続く

レヌカー・M


[BANGKOK SHUHO]