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タイの花木走獣 パン吉の夢 五 バス・ボーイの常として、パン吉はバスの中に寝泊まりしていた。そのパン吉と連絡する役を買って出たのは、当時我が社に出入りしていたクンナーイ・サ・ウ(サウジ・アラビアの奥さん)であった。 この名はあだ名である。しかも古いので少し説明を加えなければなるまい。 この一年、タイ経済はどん底を這いずりまわった感がある。対ドルの為替レートが三九程度で落ち付いて、一月あまり、ビア・ホールなどに集まる客も増えて、早くも危機を脱した感を表す人たちもいるが、あれは多分そうなったらいいなという気が言わせているのに過ぎないのだろう。 インドネシアも動いているし、中国も更に安くなった中で、タイがどん底の泥を漕ぎながら、やっとの思いで着いた先には暗澹たる深淵が口を開けているではないか?でも、思い出せば、二十年前。一九七十年後半はもっと悪かったのだった。まわりの国は皆共産化、社会主義化され、ゲリラは山を越え、河を渡り、浸透して来た。民は貧しく、経済はただただ渋く、金まわりは悪かった。 タイに金を落としていた米軍を追い出して、北ベトナム容認の政策を取り、その結果でもないが、なおさら悪化した流動性問題を解決すべく、ククリット首相が外国から借りた金をタンボン計画なぞで地方行政体、それも末端の村に流したのは、一九七七年のことであった。 しかし、タイの地方に金を流し、購買力を与え、渋い中でも一応の内需レベルを保った要因の一つとして外国出稼ぎ人たちの送金は忘れられない。 中でも、サ・ウことサウジ・アラビアは出稼ぎタイ人たちの受け入れ大口であった。 サ・ウ、サ・ウへと、草木も靡く。 サ・ウへ行けば、皿洗いでも五千バーツもらえるんだと言って、我がソイからも庭男や門番たちが出て行った。ソイの大金持ちブンタムさんの屋敷で野菜を作っていた老人も出て行って、私たちは彼の残して行った犬を引き取った。私はその犬に「ラーン・チャーム・ハーパン・バーツ」という名をつけたのを覚えている。 さて、サ・ウに出稼ぎに行った男たちは、うまく行けば、タイの田舎で待っている妻子に仕送りをした。 渋い、渋い田舎で渋く、渋く暮らしていた大工や木工の妻子が急に何千バーツという金を仕送りを受けるようになったのである。 その金をうまく貯蓄すれば、身を立て、一家を成すことも出来たろう。事実、そう出来た人たちも多く出た。 しかし、送金をいいことに着三昧食三昧の消費生活を送った人たちも多く出て、そんな派手な妻たちを指して、クンナーイ・サ・ウという言葉が生まれた。 私の夫の母によれば、タイの田舎にはクンナーイ(奥さんとか夫人と訳せよう)という言葉に匹敵する人たちは三人しかいなかった。 一人はナーイ・アンパー(郡長さんの奥さん)、もう一人はナーイ・タムルワット(警察官と言っても、サラワット級、郡庁所在地警察署の署長さんの奥さん)そして、もう一人がナーイ・サタニー・パー・マーイ(本当はサターニー・トッドロンとか何とかもっと長い名なのであるが)という林野局事務所長の奥さんなのだそうだ。 郵便局長の奥さんはクン・ナーイではないと、王立林野局に勤める夫の転勤に従ってタイ各地を巡った姑は言っていた。郵便局長夫人に言わせれば、三番目は彼女で林野局事務所は入りませんよというかも知れない。 さて、こんなランクの女たちがひしめくタイ各地の村社会に、夫の送金で生活する女たちが出現したのだった。 官吏の妻より多額の金を送金してもらっているし、家族の長に経済権を握られている華僑の妻や娘より自由であったろう彼女たちは、揶揄を込めてクン・ナーイ・サ・ウと呼ばれたのだった。 確か、この名をタイトルにした映画も作られたと記憶している。 八十年代末にサウジ・アラビアのブームが終わった。そして、その頃あの有名な「サ・ウ・宝石事件」が起きたのであった。サ・ウのさる王族の屋敷に雇われていたタイ人が宝石を盗んで逃げたのである。犯人は 北タイで逮捕されたが、没収した盗品の保管と返還をめぐり、大スキャンダルとなった。 タイ警察を巻き込んだ大騒ぎの中で、サ・ウ大使館員が二名殺されたのは直接事件に関係あったのかどうか分からない。 しかし、この事件の決着がつく迄はと、サ・ウ政府はタイ人へのビザ支給を停止したのであった。その時までに働いていた人たちの大半も帰された。サウジ・アラビアへの出稼ぎは過去の話となり、クン・ナーイ・サ・ウも歴史のあだ花となったのであった。 説明が長すぎたかも知れない。 実は今週の始めに斉藤フィシュから電話があり、「パン吉の夢」ももうつまらなくなったという。斉藤氏は天使の都の長年の住人で、レヌカーの旅のお客さまである。歌が巧くて、けんか早く、それ以上に太極拳の先生であるが、彼は歯に衣着せぬ外野でもある。 でもこの外野も偏っていて、斉藤魚氏は魚や動物、昆虫が好きなのだ。この話がつまらなくなったというのは、彼が好きでもないソムチャイだのキヤクだのシーだのの話を私がえんえんと書いているからであろう。 多分、今週の原稿も彼にけなされるであろう。しかし、私は神は細部に宿りたまうと信じている。 パン吉の話は長い間書けないできたのだった。そして、パン吉は、私の趣味がこうじて出現したへんてこな会社「レヌカー&カンパニー」の 重要人物である。 そのパン吉がどうやって会社に加わるようになったかの経過においてクン・ナイ・サ・ウの説明は意味あると思うのだ。プロポーションが悪い、レヌカーさんの話は脇道が多いし、長すぎるよという批判は覚悟しているが。 続く
レヌカー・M
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