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タイの花木走獣 鹿皮と五色の器・四 日本人の持つ鑑賞眼と購買力については、多少なりとも理解していたつもりであったが、ベンチャロンに関しては、まったく実際は想像をはるかに越えていた。 最初は私に冷たかった婆さんも驚いたかも知れないが、広告をして、人集めをした私も思いだにしない売れ行きであった。 と言っても「レヌカ―の旅」ではいわゆる買い物に案内して、その店からコミッションをもらうという方式はとっていない。 だから何人のお客が幾らの買い物をしようが、私たちには関係ないのだ。それでも、品物を気にいっていただければ、次の「ベンチャロンの旅」に参加する方が増える。だから、まったく関係ないわけではないが、私としては、同じアパ―トに住む二人のご夫人が注文したベンチャロンをめぐって喧嘩などするようになっては、困るのだ。 アムパワ―のベンチャロンのどこが日本人マダムの琴線にひびいたのであろう。 この工房はデザインにしても、絵つけの色にしても、他の工房の追従をゆるさないものがある。それは彼らが多分アムパワ―の贋作造りとしてもとから持っていた技量に足してプラサ―ト美術館の下請けを長年やっている間に培った技術とスタイルであろう。 かつてよく聞いたのは、タイの部品メ―カ―が欧米や日本の大メ―カ―のOEMをやりながら技術習得し、一本立ちになるという話であった。 タイの中でも、そんなことがあったのであろう。この店はプラサ―トのOEMをやりながら、タイ上流社会に気に入られる風を学び、市場の感覚を得たのだった。 アムパワ―の工房の絵付け陶器は清朝のレプロと言っても、中華趣味ではない。輸出用チャイナであるから、大市場である西洋の好みが入っている。また、十八世紀以降の東南アジアには、文明開化は西からの風潮があり、西洋風の花や鳥のモチ―フがもてはやされた。 西よりの文明開化のオブラ―ドでつつんだ鳥やちょうちょう、とんぼに花などが、アムパワ―の陶器にはモチ―フとして使われているのだ。 これがやはり翻訳文化で育った日本人マダムの心の琴線に触れないはずはない。 私だって、ぞっこん魅惑され、心を奪われてしまったのだから、何とも言えない。
レヌカー・M
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