タイの花木走獣

鹿皮と五色の器 三


 私だって「レヌカーの旅」など始めず、金を稼ぐ代わりにつかって、慈善事業というか現代タイの流行りで言うサンコム・ソンクロ(福祉事業界)に生きていた頃は、腰にパウチなどぶるさげていなかった。

 髪もきちんと、長袖のドレスで朝から運転手つきの車でお出掛け。昨日はドンムワン近くの無認可託児所にオーストラリア・ロータリーを案内して、午後は身体障害児童の為のチャリティ・バザーの準備委員会。 今日はバンプーの先のSOSチルドレンの新築ビルの竣工式。今夜はさる王族の葬式で、ワット・テープスリンまで行くのは遠いけれど、長年委員を勤める婦人会が施主になっている晩だから、しようがない。家へ帰って、喪服に着替えて駆けつける間に子供の顔でも見れるから。

 明日もチャリティ。その間に急な呼び出しで、チトラダー宮殿に呼ばれて王妃からお言葉をいただいたりするのだが、それはいつも一日前の通知で、謁見は夜中が多かった。

 こんな生活を十年ばかり続けていた頃には、タイ紙の社交欄、ゴシップ欄に一月に一度は名が載ったし、婦人雑誌に写真も載った。

 テレビに出ることもあったから、地方に旅した時に声をかけられることもあった。タイという国では、人は皆、バンコクの王様の方を向いているので、ソンクロ業界であれば王家の方々の側にちょろちょろすることが多い。それで顔も名もおぼえられ易いのだ。

 そんな時代の私であれば、タイ人をして「レヌカーさんはいつもレプローイ(きちんとした)な身なりをしている」と言われた頃のであれば、アムパワーの贋作職人の女房など流し目一つでお世辞笑いさせることも出来たであろう。

 しかし、私は「ソンクロの世界」に飽きて、「見るべきものは見たり」の心境で、世を捨てて、旅に出たのだ。

 今はバンコク国際世捨て人というか、タイ社会でも、日本人社会でもマージナルな存在で、双方にあまり気を使わず、旅を続けている。

 身なりはあまりかまう暇がないので、左手首の金色ローレックス牡蠣と左手薬指につけた「鳩の血」のモコック・ルビーの指輪だけが唯一のお守りであるが、アムパワーの女房はそんな物は目に入れなかった。

 クンイン・何とかの名を挙げるのもいやである。

 なんとでも思っておくれ。あとで自分の眼鏡狂いを悔いるのはあんただよ。どこが狂って、どこが正しいのか分からないが、世捨て人の私は少し感覚がずれているのかも知れないが気だけは強い。

 それで婆さんの品定めの目にたじろぐことなく、媚びず、迎合することなく、かと言って淡々とした品格はまだ身につけていない哀しさ。 世捨て人レヌカーは傲然たるパウチ姿でコレクタブル・ベンチャロンの戸棚の前に立ったのだった。

 でも何と綺麗な色だろう。

 私は濃紺に金泥で花鳥を描いたコーヒー・カップに見とれた。飛ぶ鳥の羽。水鳥の脚が筆さばきも見事に活き活きと描かれている。

 これ幾らと聞く前に、婆さんが無愛想な声で一打撃。

 「それはクン・タリンのところの注文だから、売れないよ」

 ああ、大蔵大臣ね。

 その隣の皿はいかにも、チャヴァリット夫人ご注文という感じ。

 でも、私は万世一統の日本列島から来たんだからね。幾ら百姓の出と言っても、系図は(偽作にせよ)一応藤原のふひとから始まっているのだ。たかが二百年のバンコクに来た中国移民の成り金には負けないよ。

 こんな所で贋作つくりの前で高級高級ぶるのも、おこがましい。

でも、ここの品は素晴らしいわ。

 何か買って行こう。

 私は濃紺に金泥の花鳥のパターンで小さい珍味入れみたいのを見つけた。

 「これ、幾らかしら」

 ただちに声がかかって、一千バーツと答えた。

 手のひらに入るほどの小さなものにこの値段は高いと思ったが、まずこれを買って見て、帰りの車の中でじっくり見て見ようと思ったのだった。

 この次はもう少し良い恰好してこよう。その方が気が楽に品定めできるわ。

 これが、私とアムパワーのベンチャロンとの初顔あわせだった。     

続く

レヌカー・M


[BANGKOK SHUHO]