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タイの花木走獣 鹿皮と五色の器・二 それですぐアムパワ―に駆けつけるほど、私はひまではなかった。頭の中の小引出しに入れたまま忘れていた話を思い出させてくれたのは、ラ―ブリ―のホンタイ窯元の女主人である。 この十年ほどタイ王室局はラ―マ四世、五世時代に建てられた宮殿を次々と修復した。その背景にはタイ経済の隆盛があったわけであるが、これまで旅先の地で見てきたさびれた離宮が修復され、立派になっていくのは嬉しいようでいて、惜しむ気も湧いた。 ラ―マ五世がお妃たちや側室と住まわれたヴィマンメ―グ宮殿は私が初めて見た時には、総チ―クの床にはカ―ペットもなかったし、緑、青ピンク、肌色、象牙と五色に塗られていたという壁も色褪せていた。 古都アユタヤへチャオプラヤ―河を船で上る途中のバ―ンパイン離宮は今訪れて見れば、さびれていた七十年代の面影はまったくないきんきら姿。すっかり金持ちになったタイにため息をつきたくなる始末である。 ホワヒンへ行く道すがら、ペッブリ―の山上に輝く白亜の宮殿は、タイ経済が渋かった頃はあんな色ではなかった。山上の都プラナコン・ギリはラ―マ四世が始め、五世、六世と歴代の王が工事を続けて完成させたものであるが、七十年代に訪れた時は山上に続く道は瓦礫の山で、プルメリアの林には猿が鈴なり。かぐわしい花の香りどころか、猿のおしっこで鼻が曲がるほどであった。 さらに南へ下がった海辺のカジュライナ林の中にラ―マ六世は鹿の園マルカタイワンを建てたが、その離宮も四年前に修復され、家具も入った。 こうした離宮の庭や入口の車寄せ、ベランダや長廊下には陶の花鉢やストゥ―ル、水蓮鉢が置いてある。 深緑に紺、茶に黄と瀟洒な取り合わせで釉がかけられ、花鳥風月のモチ―フが描かれた鉢はもともと中国本土で焼かれ、出荷されたものであった。 中部ジャヴァの古都ソロの骨董屋で釉薬の具合がいともあでやかで美しい陶のストゥ―ルを見たことがあった。タイのバ―ツに換算すると、二万バ―ツほど。旅の終わりにそんな余裕もなかったし、すでにジョクジャカルタのカラサン寺院で月下美人の大鉢を買いこんでいたので、両手もふさがっていて、あきらめるほかなかった。 あれは確か去年の五月だった。その後にバ―ツは暴落したが、ルピアはその何倍かで落ちつづけている。 今なら買えるかもしれないが、ソロまで飛んで行っても、あの店に残っているだろうか。 脱線は私の得意芸であるが、それほどまでに人の心を魅する中国清朝の陶器の艶やかについて語りたかっただけだった。 さて、その美をタイの今に再現しようという努力を始めたのが、ホンタイ工房。水瓶の町ラ―ブリ―の老舗で、漢字で豊泰窯というもと華僑である。 私がこの窯元を始めて知ったのはバンコク国立博物館のガイドの旅であった。当時は敷地だけがいやに大きな工房の中にメクロン河から出た中国の雑器が置いてあって、一鉢百 バ―ツ程度で売ってくれた。古いナンプラ―の壺もあった。なかなかの風情の大壺を幾つか買って庭に置いていたのだったが、シ―ダ―の子犬たちがかくれんぼをして遊んで、壊してしまった。 その窯元が始めた中国古陶器のリプロダクションがうまく時流に乗りタイ王室の認めるところともなって いまやホンタイ窯の作品はタイの宮 殿の庭に廊下にオン・パレ―ドであ る。 さて、そのホンタイ窯がベンチャ ロンならアムパワ―へお行きなさい と言うのだ。電話番号までくれた。 日頃はそんじょそこらの工房とは一 線を画したホンタイ窯が褒めるのだ から、よっぽどのことであろう。 ラ―ブリ―からメクロン河を下りたアムパワ―の店に入って、急にクンイン達の話を思い出し聞いて見れば、ソイ三十九のお宅で見た皿が出て来た。その他にもあるある。何とか大臣のコ―ヒ―セット。美人の誉れ高い某省某局長が還暦祝いに配るという小皿は、パステル・ブル―の葉にパステル・ピンクのぼたんの花。黄色と黒の蝶が飛んでいる。これはベンチャロンと同じエナメル・ウェアでもマラッカ海峡の華僑の間で流行った模様である。 店にはひどく太った老婆がいた。 どこかで見たことがあったと思ったのは、彼女の姿も服装もタイ・テレビのメロドラマに出てくる大家の女中頭風であったからかも知れない。私を迎える態度もまた定番であった。 おじぎをするわけでもない。 いらっしゃいでもない。 どこの馬の骨が来たかという眼差 し。狭い小さな上流社会の客相手に 知った人としか商売しない老舗の女 主風を気取っている。 ホンタイ窯のほうはまだ隆盛でな い頃に知り合った。それに私と十ほ どしか違わない窯元の娘はタマサ― ト大出でラ―ブリ―地方裁判所の裁 判官をしていたから、かなりのイン テリと思っても間違いはないか。ぼ つぼつながら、英語も話し、外人を 広く迎える態度もあった。 それに比べて、アムパワ―の窯は タイ社会の金持ちを顧客層に持つ職 人の開いたものである。それは後で 知ったことであるが、店に入った女 主の目に出会った瞬間、私はラ―ブ ―リ―の窯元とは違った雰囲気を感 じたのだった。今にして思えば「狭 い社会」に生きる人たちの「小さな 心」が溢れていたのだった。 店に入ってきた客を見極めようと いう容赦ない彼女の目に品定めされ ている私はと言えば、例の着古した キュロット・スカ―トにあいもかわ らぬ白シャツの身なりである。これ だけでもいけないのに、腰にパウチ をつけているのだ。パウチというの はタイでは市場の魚売りのおばさん か、アユタヤの遺跡で観光客相手に 腰巻きを売るお姉さんしかつけてい ないものである。 伝統床しきベンチャロン工房を歴 史あるアムパワ―の町で経営する女 主の目が、そんな私を迎えて一瞬、 険しい光を増したとしても、それは しようがなかったことであろう。 続く
レヌカー・M
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