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タイの花木走獣 歩く鹿皮と五色の器 今週は「中華街を歩く」をちよっとお休みさせていただいて、ちょっと今の私を悩ませていることについて書かせていただく。 目下の悩みとは、ベンチャロンである。 まったく、恐ろしいことになってしまったものだ。 今日も今日とて、お客の注文品が約束の日に待ってても来ないということで電話をかけて見れば、きゃあきゃあと日本語の声が姦しい。 「又、日本人が来ているの?」 「えぇ、朝早くからです」 「どんなに言われても、私たちの物は売っちゃ駄目よ。内金は払ってあるんだからね。それから私の旅の日にお客さんが買える品は取っておいてね」 「えぇ、それはもう・・・これからも作って備えておきますから」 ということは、今までの物は皆売ってしまったということかしら。 いやだなぁ。心配だなぁ。 もともとは日本人は誰も知らない店であった。それを「五色の彩・ベンジャロンと瓶」と銘打った旅の中で紹介したのは二年前の十月だったろうか。 私がこの店を知ったのは、さるクンインのお宅で見せていただいたディナー・セットがきっかけである。 クンインというのは女性の称号である。王様からいただく位なのだが、夫が大臣や長官などの役職について王から相応の勲章をいただくと、その妻もクンインとなる。 女が夫と関係なく、自分の働きで認められ、王様からクンインの位を与えられる場合もあるが、このクンインは後者の方であった。慈善事業に奉仕して、お金も時間もつぎこんだ。夫の理解と協力がなくては出来ないことであるが、それにもまして必要なのは実家の金力である。 さて、このクンインと私は二十五年前ほど前からのつきあいになる。 クンインになる前の彼女のことは、かつて「タイの花鳥風月」の「イェスタディ・トディ・トモロゥ」に書いたことがある。 当時、新築したばかりのスクムヴィット・三九の大邸宅では、リヴィング・キッチンにステンレスのスプーン、日本のスーパーで買ってきた陶器が並べられていた。 婦人会などの会食で大食堂を使ったこともあったけれど、外の店からの仕出しで、食器はあまり関心しないウェッジウッドだった。 それが二十年経てば、オーナーはれっきとしたクンインである。タイ経済も輸入代替のかけ声は一昔前の遠いこだま。ガーメントとエレクトロニックスの双翼を広げて、輸出指向工業が離陸し、不動産業と銀行・株がバブルの泡をまき散らし始めたころだった。 新クンインのお宅をひさしぶりにたずねると、古い顔たちが大食堂ではしゃぎ声をあげている。 「アムパワーに頼んでおいたお皿がついたのよ」 飾り気のないクンインのことだから、さぁ見てちようだいと皆の前にディナー・セットを広げたのだ。 ボーン・チャイナのアイボリィの地の皿の縁にピンクと紺と金で更紗のような模様が描いてある。裏を返すと、大皿の中央にクンインの名前と紋章めいたものが描いてある。金の筆跡も美しい。 「あら、綺麗ね」 模様を描いた箇所を触って見ると盛り上げた絵付けがそのままの、ごつごつとした手触り。これこそ、清朝のエナメル・ウェアよ。筆を止めた先にぼってりと溜まった絵の具が炉に入れられ、焼かれて、びぃどろのような輝きをかいま見せてる。 アムパワーのベンチャロンに私はすっかり、魅せられてしまった。 このクンインの魅力は率直なところにある。 彼女は続けた。 「これがね、クン・プラサートのところだったら、いくらすると思う。あんな値じゃあ、私買えないわ」 ちなみに彼女は一九八十年代初期に世界金傑二十人に選ばれた一家に嫁している。 私はラームカムヘン大学近くの骨董商がつくった美術館を思い浮かべた。そう言えば、あの庭の一角でエナメルウェアを作っていたっけ。ラダムリのプラサートの店より一割ほど安いという話で、スクムヴィットの日本夫人かたの間でも、一時は誰もが器の中に金魚が描かれた中国煎茶の器を一個は持っていたものだけれども、それも一時ですたれてしまった。 「レヌカーさん。それがアムパワーのじいさんのところではね。半分以下の値なのよ」 誰々さんも頼んだ。大蔵大臣やって評判悪い何とか氏は、だいだい色に天女の柄のセットを注文したらしいけれど、なんて趣味が悪いことでしょう。とか、座はひとしきり、アムパワーのベンチャロンを持っているという有名人たちの話で賑わったのだった。 ( 続く)
レヌカー・M
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