|
タイの花木走獣 チャイナタウンを歩く その三 カラヴァ教会堂を出て、川上に向かって歩く。 タイ商業銀行の看板のかかった門がある。中をのぞくと、長いドライブウェィの彼方に白亜のコロニアルスタイル建築。車寄せのポーチがある。 一九七十年代にチヤイナタウンを歩いた時に、こんな建物を見た覚えはない。その時のメモにもないから、これは八十年代末の銀行隆盛時に買得されたものではなかろうかなどと考える。 八十年初のまだ輸出振興の頃、無尽講というか、ねずみ講というか、英語ではチット・ファンドという私の金融慣行が一世を風靡した。この頃はノン・バンクの金融制度などという言葉があるが、それ以前のものである。ノン・バンクにもならない人間的というか、社会的な組織であった。 一年の内に元本が二倍、いやそれ以上になるとの噂で、ファイナンス・カンパニーの年利十五パーセントでは飽き足りない連中が殺到した。 当時、バンコク中心にまわっているねずみ講には、二つの大きな胴元がいた。 その内で最も派手なのはメーチャモイと呼ばれるとんぼ眼鏡の女性でチャリティに寄付をしまくり、新聞に写真も載る有名人となった。彼女は空軍将校の妻であったので、メーチャモイの講は空軍の息がかかっていると噂されていた。もう一人はノクキャオ夫人で、彼女は陸軍を基盤としていると噂されていた。 金を借りてまで無尽講に入れる人たちが出た狂乱時が過ぎると、無尽講は無尽に続くはずはないから、八十二年、三年には出資者に金利を払い切れなくなった講の破産が続いた。 出資者に殺されるよりはとチャモイ夫人は警察に保護を求め、進んで刑に服した。 この狂乱時代を経て、タイの銀行制度は信用を獲得する。金利は低くても(というのは 比較の問題であるが)、銀行にあずけて置けば、固い。預金が集まったところで、タイの輸出指向産業の成功。施設拡張の為の銀行融資の必要が急増。銀行は前にも増して儲かるビジネスとなったのであった。東アジアの通貨高騰後の銀行業の繁栄については述べる必要はないであろう。 今は落ち目の銀行業。資産整理の追い風がコロニアル風建物を変えないことを願いつつ、足を進めれば、次なる区画はクロム・チャオ・ター。 字義通り訳せば、港湾所管局であるが、英語ではハーバー・デパートメント、港湾局と呼んでいる。 この局はかつてはクロム・ターと呼ばれ、アユタヤ時代の昔から中国との貿易を一手に仕切っていた。貿易と言えば王室貿易だった頃の話である。 ここでレヌカーは王室貿易の話をする。そして、続けるのは王室の富の源としての王室貿易の重要性。 「チャクリー王朝は軍人一家ですから、戦での略奪というか、捕虜を連れ帰って農業や水利工事に従事させることも富を増やす手段でしたがその後に比較的平和になると、貿易に精を出しました。遠隔地から賦役代わりに物納される森の幸と言えばすおう、ベニガラ、ダマール、絹織物がありましたが、そんなものを専売したわけです。 ラーマ二世がなくなった時、その後継者として第一位にあったのは位から言えばチャオ・ファーと呼ばれ王族出の后の位を持つ方から生まれたモンクット王子でしたが、重臣の会議で三世として指名されたのは、チャオファーより低いプラ・オン・チャオの位にあったチェサボディン王子でした。モンクット王子より歳上のチェサボディン王子は父王二世存命中からクロム・ター、港湾局の長であり、大変実力があったのです」 ラーマ四世の時代の一八五五年に締結されたボーリング条約によって王室貿易はなくなった。代わりに輸入品に関税がかかるようになり、関税局がつくられ、港湾局は純粋に港湾だけの面倒を見るようになり、その名もクロム・ターからクロム・チャオ・ターとなった。 その日の旅にはかつてM商船会社の駐在員として、港湾局と仕事をなされた方が参加しておられた。 「懐かしいですね。水先案内人を頼む時はここへ来るんです」 それはクロム・チャオ・ターになってしまった後の話。 クロム・ター時代は、ここは中華街と大きな世界とのつながりを示す公の機関だった。 今でも紺色はシー・クロム・ターと呼ばれている。かつて港湾局の役人は誰も紺色の衣服をきていたという名残らしいが、それは何世の何時までの風習だったのだろう。 カンチャナナーグパンという文人がいる。と言っても、もう大分前に故人になってしまったが、文部省の宗教局長を長く勤めた方である。バンコク生まれで、かつてのバンコク生活のあり方をまとめた本を何冊も出した。中でも「クローン・バーンルアンの子たち」は文部省指定読本になっている。 さて、この方が十五年ほど前「ムワン・ボーラン」誌の中華街特集でこう書いていたのを読んだことがある。 サパン・ハンから中華街に入ると服装や髪形からしてタイ風な人は通らない。やっと港湾局のあたりでタイ風の人に出会って、ほっとしたものだった」 港湾局は中華街の入口あった。 そして、その下流にポルトガル教会やポルトガル部落や大使館、フランス大使館、中央郵便局などのファランの世界が開けていたと考えて良いだろう。(つづく)
レヌカー・M
|
|
|
|
|