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タイの花木走獣 チャイナタウンを歩く その二 「チャイナタウン探訪」のスタート地点はサンパンタウォン区役所前である。 ここにはかつてラーマ四世が建てた砦があった。都を囲む第三の堀としてクルン・パドゥン・カセム運河を堀り、その内側に設けた砦の一つである。 区役所にしても、市役所にしてもローカル行政の主要な仕事の一つが一般市民の生活ゴミの収拾と処理であることは、ここタイでも変わりはない。サンパンタウォン区役所前にも何台かの黄色いゴミ収集トラックが停まって、運河べりの雑多な雰囲気にわびしさと臭気を加えている。 運河べりの通りには、ロン・ナムケン通りという名がついている。ナムケン(氷)がタイに持ってこられたのはラーマ五世の時代ということだから、ここに製氷工場が出来たのは運河が掘られた、ずっと後の話であろう。 製氷工場通りを抜けると、目の前はなんとリヴァー・シティのビル。 「運河はこのビルの前で暗渠になって、チャオプラヤ河に注いでいます」 ここから先は暗渠に入るという橋上まで行って、濁流をのぞいて、もどる。ミニ・バス、観光バスにタクシーでごったがえすリヴァー・シティ前を橋まで迂回してから道を横切る私たちは、日本人風であることも手伝って、タイ人のお節介の対象となった。 「ここから渡れますよ」とわざわざ車を止めて、教えてくれる人たち。 リヴァー・シティの警備長らしき男は「ここで渡って、ビルに入れ」と警察まがいの命令調である。 色々のことをいう人がいる。 しかし、私たちは「歴史をたずねて」歩くのだ。歴史的建造物などには何の敬意も払わないピックアップやバスなどの合間を縫って、ようやく橋上の歩道にたどりつくと、私たちは欄干から身を乗り出し、暗渠に流れ入らんとする濁流を見つめ、一世紀前に思いを馳せる。 それぞれの感慨を持って、橋上を離れた私たちを挙動不審といぶかった人は多かったらしい。 「何か落としたのかい」 リヴァー・シティ前の帽子売りはしんがりをつとめるシーにそう聞いたそうだ。 さて、砦まで足を戻した私たちは、今は区役所前の通りからカラヴァ教会堂に入った。 チャオプラヤ河畔に尖塔をそびえさせるカソリック教会は正式にはホーリー・ロザリー教会と呼ばれている。教会堂の中に入ると、祭壇の上に幼子イエス・キリストを抱いて座したマリア像がある。聖母が右手でロザリオを修道士に手渡している図像が、この教会の名の謂われであろう。 ここにはかつて一七六七年のアユタヤ滅亡時に下流に逃れたというポルトガル人部落があり、カラヴァという名はその部落内に建てられた教会の名であったらしい。 今この教会はフランスのパリ海外宣教団(アユタヤのナライ王の宮廷にタシャール神父を送りこんだ教団です)に属していて、白髪の優しい顔のフランス人神父さまマルセル・ペレィが忠実なるシノ・タイ弟子に守られておられる。 ペレィ神父は中国語が達者である。 もう大分前のことになるが、堰を切ったような中国語を浴びせられ、それがどの地方の言葉かも知らない私たちはすっかり当惑してしまったことがあった。 カラヴァはポルトガル語のカルヴァリオ(カルヴァリの丘)に由来する名らしい。カルヴァリはジェルサレム近郷の丘で、イエス・キリストがはりつけの刑の処せられた地である。 今、毎日曜に集まる教徒の大半は中国系、あるいはヴェトナム系ということである。一八九七年に建立されたというから、ラーマ五世の治世の建築になる教会堂のファサードには、流麗な漢字で天主堂と記してあった。(つづく)
レヌカー・M
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