タイの花木走獣・新春寄稿

オリッサの海辺で


 扉をたたく音で飛び起きたら、モーニング・ティーの盆を肩にのせたボーイでした。ここはインド・オリッサ州の海辺の町プーリー。インド南西鉄道直営のレイルウェイ・ホテルです。

 昨夜、私達を送って来た運転手が「本当にここを指定なさったのですか」と、訝しげな顔で言いましたっけ。旅行者のヴァウチャーを見れば、カルカッタはグランド・オベロイ、ブヴァネシュワールでもオベロイに連泊していた私達が、プーリーでここに泊まるのは不可解なのかも知れません。たしかに、今はさびれて、よほどの変人か、通か、お金のない人しか泊まらないらしいけれど、このレイルウェイ・ホテルはかつてはインド東海岸の指折り名門ホテルでした。

 プーリーは、ヴィシュヌ神の生まれ変わり、ジャガナッタ神の門前町として古くから巡礼で賑わう地でした。

 インドが大英帝国の一部となった後、一八七七年にカルカッタのハオラ駅からベンガル・ナグプール・レイルウェイ(BNR)が敷かれました。これが、今の南西鉄道の前身です。この鉄道に乗ってプーリーまで来た英国人サヒーブやメムサーブ達はレイルウェイ・ホテルのヴェランダで海に向かって涼をとり、その背後のジャガナッタ寺院では、サーバント達が地元のマハラジャの司る儀式に心を奪われていたのです。

 白磁のカップに入ったモーニング・ティーは薄味です。でも、ティー・バッグではないらしい渋味が嬉しい。インドのお茶はまづくなりましたからね。高い天井には天井扇がついていますが、九度か十度かという寒さでは、とてもまわす気にはなれません。こんなに寒くても、蚊たちは健在で、ベッドの上の白蚊帳に張りついていますが。

 ストイックな環境ですが、それでもなんとなく気が落ち着くのは、かつて住んだデリー女学校の寄宿舎に通じるものがあるからでしょうか。

 ヴェランダに出ると、M教授御夫妻が海岸に向かって歩いていらっしゃるところでした。お二人の行く手左の空が赤々と映えています。建物に隠れてよく見えませんが、海の向こうに太陽が昇ろうとしているのでしょう。

 声をかけようとして、思いとどまりました。年越しのメコンの旅から数日間、旅を共にしてきたお二人は、今日も颯爽たる後姿で足早に私の視界から遠ざかりました。

 「地引き網を見てきましたよ」

 半刻ほどで戻られたお二人のおみやげは、浜辺で摘んだ花。その名は知りませんが、ヴェランダの卓上に置いて、早朝の光で写生しました。芝桜のような小花にとげとげの種子袋が大きく伸びたつる草でした。

 朝食は八角に割った形の出窓の部屋。バンコクのヴィマンメーク宮殿と同時代、同趣向の作りです。ラーマ五世が鉄道建設の為に英国から借金をなさった事を思い出しました。

 メニューは、英国風ポリッジに、目玉焼き、トーストにお茶。簡単なものですが、出てきたバター入れの重厚な銀のいぶし銀の蓋をもしやと手に取ってみたら、ベンガル・ナグプール・レイルウェイと刻んでありました。古式のトースト立ても立派で、その丈に丁度に焼かれた正四角のパンも懐かしい固さでした。

 かつて国鉄の要職にあられたM教授御夫妻はレイルウェイ・ホテルの不便な一夜を楽しんだと言って下さいました。私は、自分の根を伸ばしたような気分です。昔の一念を忘れずに、今年も努力しよう。そんな素朴な思いを新たにさせてくれたプーリーの朝でした。


レヌカー・M


[BANGKOK SHUHO]