いま,ベトナムは

韓国とベトナム戦争(1)


   外国企業の多くがベトナム進出を競っていた九十年代半ば、ハノイやホーチミン市の街中でひときわ目立っていたのが韓国の財閥企業の広告看板であった。ゴールドスター、サムスン、デーウ、KAL、ヒュンダイ――等々、韓国の主要な財閥企業が勢揃いしていた。

 その頃、首都ハノイには大宇ホテルが完成、すでに開店していた一階のコーヒーラウンジでアイスコーヒーを飲み文庫本を読んでいると、ここがベトナムであることを忘れるぐらい「快適」だったのを覚えている。出会った韓国人客も鼻高々だった。

 ところが一九九七年七月に起こったアジア通貨危機は、韓国をも直撃、IMFによってその財閥主導の経済構造にメスが入れられることとなったのは記憶に新しい。当然、ベトナムに怒涛のごとく進出していた韓国企業も一斉に本国へ引き揚げ、残されたベトナム人従業員は路頭に迷うなど、韓国クライシスがベトナム経済に与えた影響は小さくはない。

 その韓国、筆者の学生時代は全斗煥大統領時代で一九八〇年の「光州事件」に代表される血なまぐさいイメージがまだ強かった。新聞は毎回のように学生と機動隊の衝突ばかりを伝えていたし、馬山の輸出加工区では女子労働者が待遇改善を要求してストライキに突入していた。それは七十年代までに「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を果たしていた韓国の次なる発展に向けた産みの苦しみであったのかもしれない。

 その「漢江の奇跡」とベトナム戦争との関係について書かれた研究書を今読んでいる。書名は『韓国の経済発展とベトナム戦争』(朴根好著、御茶の水書房、一九九三年)。これが実に興味深い。筆者の朴さんは「韓国のベトナム参戦が、ベトナム特需とその見返りを呼び、これがいわば呼び水になって、韓国の工業化を促進するのに果たした役割はきわめて大きい」と具体的に論証している。

 韓国がベトナム戦争に派兵したのは一九六五年、日韓条約が締結された年でもある。この年の三月、米国はダナンに沖縄の海兵隊三五〇〇名を上陸させ、ベトナム戦争が本格的に開始される。これに先立って米国は韓国やフィリピン、タイなどの代表をマニラに集め、ベトナム参戦を「強要」した。当時の韓国・朴正煕大統領は米国の援助と引き換えにこの「勧誘」に応じた。韓国以外にはフィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドがベトナム共同派兵国となった。

「李長官、実際、名分のない戦争だということは私(朴正煕大統領)も、よくわかっている。だからこそ、李長官が実利をつかむ際に手抜かりがあってはならんのだ。それから派兵規模は最大で五万人。それ以上は絶対ダメだ。この点を忘れずに話し合いに臨んでくれたまえ」(李東元「元老交友記」、前掲書より孫引き引用)

 マニラ会議に向かう李外務長官に朴大統領はこう語ったという。以来、六五年から七三年までに韓国は延べ四十万人の兵士を派遣することになる。

 この「貢献」に対して米国は自国生産では間に合わなくなったジャングル・シューズや軍服といった軍需品を韓国に優先発注、不足がちの外貨を補うために経済援助にも乗り出した。

 朝鮮戦争による特需が戦後日本経済を回復基調に向かわせたのと同様、「ベトナム特需」は日本のみならず韓国の輸出加工戦略を軌道に乗せていく。そしてこの間に主要な現在の韓国財閥が誕生していく――。                 

 (つづく)

             

 鈴江 康二(ジャーナリスト)


[BANGKOK SHUHO]