タイの花木走獣
パン吉の夢 35
プラブクの浜揚げ漁は年々少なくなっている。
レストランの壁に掲げられた表をながめる私の脳裏に様々な思いがうつろう。
かつてはこの魚をバンコクで見ることは難しくなかった。
メコン川など知らない人でさえこの魚を見たことはあるほどだった。
かと言って、泥川のチャオプラヤ―川にプラブクが生息していたわけではない。
それでも、この魚がバンコクの住人たちに親しい存在だったのは一種の季節感を与える風物として一年に一度現れる魚だったからである。
もともと「魚を捕まえる」という行動は、乾季のものである。タイで俳句をなさっている方たちの「メナム会」と言う集まりがあるが、その会員で「レヌカ―の旅」の「名誉歌人」であられる長尾俊郎さんにうかがっても、「魚を捕まえる、だけでは季語になっていなかったと思いますがねぇ」と言うことであった。
しかし、タイ人たちにとっては魚を捕らえるという行動は乾季も盛りの四月、五月の季節と結びついている。
タイ・ラット紙などの大衆紙には一面に毎年、四月ともなれば、こんな記事が載る。
「捕まった大魚は何十キロ」
写真も載っているが、それは泥だらけで何魚か判別もつかないことが多い。かつては魚だけの写真など載らず、泥沼のような地で、老若男女、子供たちまでが総出で魚を捕まえる絵がのったりしたものだった。
二十年前のタイで一世を風靡した小説「東北タイの子」にも、乾季に水の減った池から魚を捕る行事についての長い描写があったことを思い出す。
だから、「魚を捕る」といっても釣り竿で釣るのではなく、渇水季に泥沼と化した池の中で「手で捕まえる」のだ。
それがタイの乾季の風物詩というか、「魚が捕まった」とか「捕まった魚」という報道を読めば、タイに長く住んだ人たちは「乾季も盛りのソンクラ―ン」という感興を抱くのである。
さて、バンコクのラ―ン・スワン通りに何とかというお粥屋があった。その店は毎年、ソンクラ―ン過ぎると大きなプラ―ブクを店頭に吊り下げるので有名であった。
軒下からつり下げられた大魚はその尾か頭か、どちらが下か忘れたが、もう歩道に届かんというばかりである。
それが面白いと夫に連れられて見に行ったのは、まだタイに来て間もない頃であるから、もう二十五年以上も前の話である。
プラ―・ブクを食べたことはなかった。その魚が捕れるというメコンは遙かな遠くの大河であってて何時行けるとも見れるとも知れなかったが、毎年乾季の盛りの到来とともにその店の軒に吊りさがるメコンオオナマズの巨体には、バンコク生活が長くなるにつれ、年々と親しみを感じたものであった。
毎年、定例の大魚の到来が話題となる。
そんなバンコクであり、タイであったのだ。二十五年前には。
つづく
レヌカー・M
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