タイの花木走獣
パン吉の夢 31
「この間は大変ありがとうごさいました。
その後もニガウリ薬を飲んで、父さんと一緒に鶏を飼い、エイズ仲間の集会で励ましあって暮らしています」
という手紙をパンから貰ったまま、乾季に入った。
ソンクラーンの旅で少し余裕が出来た後に送金。それからが観光業の渇水季、渇金季となる。
その後を送り渋っていたからだったろうか、パンが現れたのは。
暑い日だった。
エアコンの効いた事務所に座る私たちはガラスの水槽の中の魚。ガラス戸の外の世界は見るだけで出たくもない。
「あれ、珍しいお客が来たぞ」
喜びとも、驚きともつかない声をあげたソムチャイに緑の芝生の彼方を見れば、門の鳳凰樹の赤い花影にパンらしき姿が立っている。
出てこられるほど良くなったの。
長距離バスで来たというパンが長旅の疲れをとった翌日、私はモンデット先生に連絡をとって、パンを病院に送った。
検査の為である。
本当ならもうとっくに死んでいなければならないパンなのに、今は元気で歩いている。
自慢かたがた、その秘密を解いてもらいたかった。
もしかして、抗体は増えているのではないかしら。
一万バーツ近い検査料を払って得た結果を電話で教えてもらえば確かに僅かではあるが、抗体は増えていた。
鬼の首でも取ったように喜びながらも、私には不安があった。
こういうのインディアン・サマーって言うんじゃなかった?
晩秋に、これから寒くなりますという前に、一日だか二日、暖かい日がある。日本でも小春日和などと言うけれど、米語にはインディアン・サマーという言い回しがあった。
何か「きつねの嫁入り」に似通ったような、土人にたいする差別感のまじった表現だと聞いたことがある。
とにかく、これは良くなったきざしなのか。それとも、悪くなる前の兆候なのか。
モンデット先生は否定的であった。
ニガウリの粉と野菜しか食べないで、こんなに元気になったのね。
朝から早く起きて庭仕事をしているパンを見て、喜んだ私であった。このまま、居つづけてくれるのかと浅はかな考えを抱いたりしたのだったが、今考えて見れば、パンはそんなに楽ではなかったのかも知れない。
いや、大変苦しかったのかも知れなかった。
金がなくなったので、養生も出来ず、会社へやってきたのかも知れなかった。
それをモンデット先生のところで検査にやったなんてね。
今、思えば、行き違いというか。
とんでもない無駄遣いというか。
でも、あの時は私はそう思っていなかった。
検査の金をパンにまわせばよいとは思っていなかった。
今になって思いめぐらせば、二週間ほどたって、やはり田舎へ帰ると言ってきた時のパンの顔が目に浮かぶ。
でも、彼がどんな表情を浮かべていたかと、思いだそうとしてもはっきりしない。
そう、はっきり言えなかったのかも知れない。
私はやはり彼の苦しみに鈍感であったのだろう。
つづく
レヌカー・M
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