タイの花木走獣
パン吉の夢 27
毎年の暮れから新年にかけて、「レヌカーの旅」はメコン川岸を旅する。
在タイ日本人社会という小さな市場にひしめいている旅行社は、レヌカー・アンド・カンパニィも含めて、どこも暮れから新年にかけての連休をあてにしている。
タイの国民休日は十数日あるがその全てが休業日となるのは、官公庁くらいのものなのだ。
日系企業のきびしいスケジュールの中でどの日を休みとするかは企業毎に違い、又製造業とサービス業でも大きな違いが出る。
しかし、暮れから正月にかけての連休は、業種を問わず、長くとる会社が多いようだ。
「うちはタイ企業ですから」
という所でも、三十一日と一日だけは必ず休む。
それに土、日を入れると休みは三、四日にはなるというわけで、その間の時間のつぶし方、金の遣い方をめぐって、旅行業者は、早い所では八月末から、遅い所でも十月には攻防戦・冬の陣を張るわけだ。
ミッチャンではないが、誰もがお金と時間を持っている時だ。的をしぼって、良い企画をして、沢山の方に参加していただき、潤沢なる利を得て、明日に備えるのは恥ずかしくも旅行業を生業の道としている者のとるべき道であろう。
しかし、レヌカー・アンド・カンパニィは、思い入れの強い会社である。
的をしぼる必要もない。
会社始まって以来、年末は「花バス」で国内旅行。それもメコンと決めているのだ。
なぜ、花バスで行くかは、簡単な理由からである。
花バスは「レヌカーの旅」の出発点である。このバスをつくりたいゆえに会社が設立されたのだ。
花バスを運転するソムチャイは「レヌカーの旅」になくてはならない人間である。この頃は寄る年波とともになおさら気難しくなり時には、「レヌカーの旅」の円滑なる操業、健全なる発展の支障になるのではと危惧される小男であるが、歴史上の人物と思えば、腹も立たない。
パン吉の思い出も、このバスには詰まっている。
地女シー。背にかけた布リュックが軽そうに揺れる馬鹿らしさに性格の軽薄さを暴露しながらも、愛想の良さで、人気はシィーに迫らんとする若手メォ。「犬のお母さん」のシーダー。
我が社の重鎮は皆、年末には花バス上に結集するのだ。
日本に帰国されたお客さまたちの中でも、年末の休みには再びタイを訪れて、「レヌカーの旅」で過ごしたいとおっしゃる方も多くいらっしゃる。
今年の参加申込み者の中にも早々と日本から参加を表明してくださった懐かしい顔が幾つも見える。
年末から新年まで、あのバスで昔の仲間とゆっくりと旅しよう。
行き先はどこでも良いんですよ。
そんな声が聞こえそうな気もするが、私は新年はメコンと決めている。
その理由を説明しよう。
メコン川は長い川である。
全長四千二百キロの流域は六つの国にまたがっている。
源はチベット高原に発し、中国雲南省を通り、ビルマの東北端から、タイ北部のチェンラーイ県で右岸にタイ、左岸にラオスの国境を画する。
右岸を見てもラオス、左岸もラオスとなるのはルアンプラバーン付近。タイのナーン県の奥となる。
山岳地帯を越えて、再びタイ側に右顔を差し出したメコンはローイ県から東北タイの南端のウボン県までの長い道のりを大きなカーブを描いて流れる。南ラオスからカンボジャを縦貫し、河口のヴェトナム南部に広大なデルタを形成して南支邦海に注いでいる。
このメコンが私は大変好きである。なぜかというと、一口に言って、この川には「開けた感じ」があるからだと思う。
この川は古代からインドシナきっての交易路だった。物流は船に乗り、早瀬や難所は川沿いの道をポニィの背に乗り、行われた。この川を通じて、民族も文化も移動した。
この川のどのポイントでも良い。
川辺にたたづむと、次のような思いが浮かぶ。
この下流には様々な民族が住み、色々な国があって、人々が物を交換、売り買いする市場が栄え、その又下流は大きな海に続いている。
上流は山だというけれど、そこには幾つもの駅市があり、それは又その上のシルク・ロードにつながっているのだ。
タイの山間を流れる川沿いに点在する駅市群はネットワークで結ばれ、メコン川を船で運ばれ、沿道を馬にかつがれ、人に負われて運ばれた「山の幸」は絶えることなく、駅市に流入する。
山間地という言葉から受ける閉塞的なイメージとはうらはらに、北タイの都が明るく、活発であるのは、分水領を越えた向こうにメコンがあり、それが北タイを広い世界につなげているからであろう。
国々をつなぐ川。
これはインドシナ大陸部でなければ、味わえない感興である。
チャオプラヤー流域から、分水領を越えてメコン川を見た時の「開いた世界に着いた感じ」は何とも筆に表し難い感激である。
誰でも、年末から新年にかけては、何か「大きな世界」「広がる世界」を見たいではないか。
それにはメコンだ。
メコンに限る、と私は思っているのだ。
しかし、メコンは長い。
今年はその、どの部分を旅しようか?
毎年発せられる質問に、その年は迷いもせず、北タイと答えたのは、今思えば、もう一度パンに会いたい気持ちがあったのだったろうか。
つづく
レヌカー・M
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