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タイの花木走獣 パン吉の夢 9 天窓から二階建てバスの上に出たパン吉。四・二五メートルからの見晴らしはどうだったか、聞いたこともない。 遙なる遠くを見晴らす余裕などなかったに違いない。パン吉が天窓からにじり出る時はいつも、バスの屋根が何かにつかえ、それをはずすというミクロの仕事が待っているのだ。 バスの屋根の先端には、金属のレイルがついている。それは木の枝や葉が直接に屋根にあたらないようにというソムチャイの愛車精神から出たものなのであるが、ここに電線や電話線がひっかかるのだ。 パンは電線をつかんで、ひきあげる。たぐまった電線を五センチひきあげてレイルを越せば、後には障害物はない。バスの屋根は電線を送りこみながら、走りぬける。 天窓から降りてくるパン吉はお客さまの万雷の拍手の中をひょうひょうたる面持ちで通りぬける。 「パン吉、いつも素手で電線つかんでいるんですよね。あぶなくないの?」 それは当初から私も心配していたことであった。軍手などをやったこともあったが、いざという時にはいつも素手でやってしまう。 堀口愛子さんという心の優しいお客さまが日本からわざわざ皮革製の手袋を買ってきて、パンにやってくださった。それを嬉しそうに見つめていたパン吉。お宝は大事にしまってしまい、それ出動という時にはまたもや素手であった。 雨季になると、勢い良く茂った樹木の枝も障害物になる。三月には楽々と通った山道も七月には緑のトンネル。どこかで何本かの枝を切らなければならない羽目になるのだった。車の後ろに積んだ大のこぎり、なたを取り出して、こんどはパン吉、木こりになるのであった。 「レヌカー・バス」がひっかかった障害物の中で最大の物件は、何と言っても、タイ・ラオ友好橋開通の際の国王歓迎門であろう。 あれは一九九四年五月のことであった。 タイのノンカイとラオスのヴィエンチャン郊外を結んで国際河川メコンに橋を渡したのは、オーストラリアの資金であった。 陸続きにバスで隣国へ旅出来る機会到来と、張り切ったレヌカーであったが、長年に渡る両国の仲の悪さか、不能率ゆえか、物理的条件はととのっても、バスが橋を渡る手続きは一向にはっきりしない。 四月のソンクラーンにタイ国王陛下が橋を開通させた後になっても、手続きをめぐって、両国の交渉は長引き、五月二十三日に正式に入れるはずであったが、それも当日になって駄目。その一週間後にやっと私たちはバスを乗り入れることになった。 土曜日の早朝、ノンカイの出入国仮事務所を出発した「花のレヌカー・バス」は本来なら歴史的存在になるはずであった。 インター・ラオ・トゥリズムもタイの出入国管理所も口を揃えて、言ってくれていたのである。 「観光バスでは友好橋に一番乗り」 この日の為にバンコクのラオ大使館で査証をとった四十人を載せた花バスはボーダー・パスを待つ長蛇のタイ人たちを尻目に華やかにも威厳に満ちたポーズで八輪の重厚な車体を橋に向けてすべらしたのである。 チャオプラヤー河に浮かぶ客船の華がオリエンタル・クィーンなら、それよりもっと大きく長いメコン河をわたる豪華バスは何クィーンだろう。 あぁ、嬉しい、誇らしい。 これまで、旅行会社で自前のバスを持つ馬鹿がいるかと経営マンたちからは笑われ、家族たちからは無駄遣いと責められたけれど、やはり、良かった、このバスをつくって。 今より五年ほど若かったレヌカーはさながら世界の花道を六方で見栄切って練る思いで、胸を膨らましたのだった。 しかし、それは束の間の喜びであった。一寸先は闇の「レヌカーの旅」の常で、大変なことが待っていたのだった。そして、それ故にレヌカー・バスは友好橋一番乗りという歴史的存在になれなかったのだった。 くっきりと青い空はラオ晴れか、タイ晴れか。橋までのコンクリート道を純白のレヌカー号は自分の優美さを意識しながら、悠々とナヴィゲートした。 運転席にはこの日の為に新調したチャコール・グレィのユニフォームを着用したソムチャイ。胸にはピンクのチョンコーの花の刺しゅう。助手席のパン吉のラオ人特有の白肌に灰色とピンクが良く映える。 意気揚々のレヌカー一行であったが、突然、目前に大きな式典門が現れたのだ。 「国王陛下万歳」という文字が浮き出ている。 あれ、下見に来た時には、こんなもの見なかったよ。 これ通れるのかしら。 口をひんまげて、ソムチャイはがんばったが、屋根がつかえてしまった。どうやっても、先にも行けず、後ろにも戻れなくなってしまった。 それでは、トゥンロムの空気を抜いたらどうだろう。 小さな身体のソムチャイが車の下に入って、タイヤの上に装備されたクッション用の空気袋の栓を抜いてバスの丈を縮めたが、駄目である。 後続の車が来た。 その同じ朝、わが社の名を使ってラオに入ることになっていたタイの旅行団を載せたバス二台である。 一台は例の「クン・ナーイ・サ・ウ」のバス。彼女も旅に参加していて、車窓に歯茎を剥きだして、笑っている。 棺桶屋のヒーと妻も子供と手を振っている。 中華街の雀たち、帰ったら、どんなに喜んで話の種にするだろう。 保守係員らしい男たちが出てきた。 「式の後、まだとりこわしていないんだ。昨日もコンテナー車が来て通れないものだから、フェリーで行ったんだ」 このバスは重くて、とてもフェリーには乗れない。 それで思わず係員の顔を見たら、以心伝心。やって良いというのだ、壊して。 仮にも、国王万歳と書いてある門である。そんなものを壊して、不敬罪になるのではないか。重ねて聞いたが、大丈夫だと言う。 そんならやろうというわけで、のこぎり片手にソムチャイとパン吉がいどんだのだが、タイ国王の威厳を秘めた式典門の木材はなかなか割れないのだ。まさか、あの二人、萎縮しているのではあるまいね。 というわけで、民主日本のお客さま方に呼びかけて、バスの屋根に載って「王の門」の破壊作業をしていただいた。 国際援助を得て、強気になったかソムチャイ。小さな身体を看板の中に突っ込んで、バリバリ破る。どうせなら派手にやろうと気持ちを固めたのか。 実直なるパン吉はのみで削って、後は外からカンカン、カンカン。 どうしても、このバスで国際橋を渡ろうという国際努力が実って、小半時もたたぬ間に門に見事大穴があいた。 直接に破壊工事に加わらなかったお客さま方はこれで終わりとなると車から降りた。そして、地べたに散在した発泡スチロールの「王」だの「さ」だの「万」だののかけらを拾い、歴史的事件に参与した証としたのだった。 続く
レヌカー・M
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