タイの花木走獣


 二階建てバスのチャシ―を買っては見たものの、それにがわをつけるのに時間がかかった。

 バス組み立てでは東洋一。さる日系大型車メ―カ―の特約工場というコ―ラ―トの工場で造らせたのだがなにしろ、ここだって八輪二階建ては始めてだというのだ。

 それだって、設計図があればそれ通りに組み立てるのだから問題はないと思ったのだが、それは又、タイに長く暮らしてタイを知らないレヌカ―がびっくり仰天の世界であった。

 工場のオ―ナ―が言うのだ。

 設計図なんて造っても、実際とあわないことが多い。出来上がってから、それに合わせて描かせたほうがよいですよ。

 思わず彼の顔を見てしまった。

 この優男は中国系で、金も何もなかったが、自動車工であった。そして一九六十年前後の東北タイでもアメリカ人が多く入ってきて軍需景気の中心地だったコ―ラ―トにいたのだった。それだけのことではないであろう。多分、巷で恐れられている妻の財テク能力もあって、彼の一家は今はタイの自動車組み立て業界ではずい一である。

 そんな彼でも、こうなのだというべきか。そんな彼だから、こうなんだというべきか。

 彼はチャオチャオ犬を飼っていたが、その犬に驚くべきほど似た息子がいて、三十になろうとしていた。この男性は小説が好きで、私とはよく意気統合してマナット・チャンヨンの小説の話などしたものであって私はなかなかのインテリと思ったりしていたが、設計図については父と同じ程度の理解力である。

 いや、分かってはいたのであろうが、自分の工場の能力から言って、そんなもの読んで同じように造れと言っても駄目だと知っていたのかも知れない。

 設計図がなくて、どうやって鉄板を切り、車体を組み立てられるのかというと、それが何とかやるのだった。でも、今思い出してもあれは凄いプロセスであった。

 私は設計図などなくて出来るはずはないと思っている。それで、疑いの雲で真っ黒になった心を抱いて、バンコクでいらいらし、三日とあげずにコ―ラ―トへ通った。

 行けば、鉄板を打ちつけた車体にやっと二階の床が出来たところ。椅子をどうしますって、椅子に坐って外を見たら、短いスカ―トの女性は困ってしまうほどに窓枠の丈が低いのだ。

 タイ人は窓が大きいほうが喜ぶんですよ。

 そう言ったって、これでは安心して坐っていられないわ。

 では、どのへんにします?

 坐ったポ―ズを取った私の短い足が隠れるあたりで何センチと計る。これは何というか、仮縫いの世界か。次に行って見たら、ちゃんと鉄板が窓枠の上に横に継がれていたから、可笑しかった。

 戸口だって、そうだ。

 ある日、行った時にあいていた戸口の位置では、とても下に十二の席が取れない。

 これはもっと後ろにいかなければ。と言えば、その戸口は鉄板でパッチを当てて継がれ、その隣に新しい戸口が開いていたのだった。

 あの鉄板はだから、継ぎ接ぎだらけなのである。

 後で色を塗れば分からないかも知れないが、よくも切ったり張ったりしたものだと思う。

 さて、納期を二倍に伸ばして、やっとバスが出来上がったのだが、まだ走れない。正確に言えば、走ったのだが いつお巡りさんに止められないかとびくびくしていた。

 八輪の二階建てバスの不定期観光目的の用途は、まだ法律で許可されていなかったのである。

 通る、通るって言って、売りつけて・・・・私をだました形になったスカニアのセ―ルス陣は私の怒りの総攻撃を法案が通るまで三か月も耐え忍んだのであった。

 さて、こんなことであるから、二階建てバスに免許がおりて、晴れて国道を走れるようになった頃には私は疲れていた。

 バスの駐車は問題なかった。

 セ―ルスに誠意を正したところ、

「レヌカ―さんのバスはずうっとスカニヤ本社の真ん前に置いて下さい。私が責任をとります」

 の一言で、五年にならんとする今までスカニア本社に置かせてもらっている。

 ただ、そのバスを面倒見るボ―イがいないのだった。

 デク・ロットと呼ばれるバス・ボ―イはバスの中に住み着き、バスを清潔にしながら、エンジンの具合を確かめ、エア・コンも毎日かけて調子を見てくれる。

 大事な人材であるが、ちょっと間違うと大変なことになる。バスをラブ・ホテルまがいに利用する男。ガレ―ジ内のボ―イたち、ガ―ドマンたちを招待してポルノビデオ大会を催す不届き者も出る。

 変な奴を次々に首切って、絶望していた頃、パンに再会した。サムサコ―ンへの旅で、同じレストランに停車したバスの窓にあの鳥男の顔をみつけたのだった。   


 

続く

レヌカー・M

[BANGKOK SHUHO]