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タイの花木走獣 パン吉の夢 一 p パン吉は「レヌカー・アンド・カンパニー」の従業員である。我が社の誇りである二階建てバスのメインテナンスをするバス・ボーイであったが、身体を悪くして、故郷のチェンコーンに帰って、もう三年になっていた。 パンの伯母からバス設置の電話に知らせが入った時、私はサクラ、サクラの歌で花吹雪を散らしながら踊っていたらしい。今年は思うようにタベーブーヤーの花が咲かないので花見の会を催す側としては、いろいろの趣向を凝らさねばならない。最後には、やけのやん八気味で手踊りが出たのだった。 タイ桜と名のつく花には、いろいろある。ナヴァタニのゴルフ・コースで北米渡来のターベーブーヤーの散り際を見てから、古都アユタヤに急ぎ、マハタート寺とラージブラナ寺の間のタイ桜並木を楽しんだ。ここのターベーブーヤーは真っ盛りであった。シーサンペット寺先の大木はミソハギ科のタベーク。それでもやはり見たりない思いがあって、ナコンパトムのNYKの蘭園まで車を走らせたのである。そこにはサクラと名のついたピンクの花があり、園側のご好意で私たちは桜色の蘭をいただくことが出来た。 桜祭りになんとか形がついて、やれやれ。後はバンコクに戻るだけ。運転席の隣に落ちついた私を待っていたように、ソムチャイの声。 「パンが死んだ」 赤土の道に赤土のほこりが舞いあがる。三月のターチーン川の平野は乾き切って、枯れ上がっていた。 「えっ、だってこの間まで何ともなかったのに」 でも、私には分かっていた。 この日がいつか来る。必ず来るのだとは知っていたのだけれど、パンはがんばった。かかっていたバンコクの医者が予告した死の日を二年も伸ばしてきたのだった。 だから、私たちは奇跡が起こるような気がしていた。もしかしたら、他の患者は皆死んでも、パン吉だけは不思議にも生き残るのではないかと思ったりしていた。 でも、やっぱり、駄目だったんだわ。 涙がぽろぽろとこぼれる。 ソムチャイもハンドルを握ったまま。 「もう苦しまなくて、良いんだ」 「パンは楽になったんだ」 と言っても、惜しい、哀しいのはしようがない。 どうして、急に死んでしまったの。 この間も元気に話をしたばかりではなかったの。 つい一週間前に冒険ダン吉の旅の後、お客さんたちと私をチェングライの飛行場に見送った後、ソムチャイはパンを見舞い、金を渡した後、電話でバンコクの私と話をさせてくれたのだった。 あの時に会っておけば良かった。声にならない叫びをあげて嘆く私の心をいやがうえにもすさませるように、赤土の道が目の前に続いていた。
続く
レヌカー・M
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