タイ日文化の二重らせん


タイの真珠の養殖事業

 タイでも真珠のネックレス、またはイヤリングをよく見受ける。タイの養殖真珠産業はいつ頃興ったのであろうか。そんな疑問を抱いたのは昨年(一九九九年)十一月、第五回アジア・大平洋バイオケミカル・エンジニアリング会議という国際会議がプケットで開かれた際に、事務局の世話で開催前にナカヤイ島という所に遊びに行った時のことであった。  プケット島の北東海岸のボートラグーンからマングローブの湾を抜け出して、高速ボートで十五分余り行ったところに島はあった。二つの小さい島からなり、そのうちの大きい方の島がナカヤイ島である。ひょうたんみたいな形をしていて、くびれたところに店があり、その両側に高い山が見えた。

 ここには観光客相手のお店の経営者以外に住人はおらず、真珠の養殖が行われていた。船着き場の先に真珠の母貝を吊した筏があり、島にも小さな真珠のお店が見られた。ガイドに聞くと、プケットには十店舗ほど真珠のお店があり、一番大きいのはプケットタウンのチェボというお店だとの話であった。

 真珠はタイ語でムック。アンダマンプリンセス号の航海で、ムック島に行ったこともある。このナカヤイ島で真珠養殖をやっているナカ・パール社は、古くはタイランド・マリンプロダクトという社名で、日本の真珠養殖業者・村田真珠と連携していたという。

 またBOIフェアでは、プケット・パール・ファーム社がプケット島のブースでラング・ヤイでの真珠の紹介をしていた。

 そんな経緯でタイでの養殖真珠産業の成り立ちに興味を抱き、この分野の草分けである宮谷内泰夫氏にこれまでの事業の発展史を教示して頂いた。

 真珠は貝に異物が入ったとき、貝が異物から身を守れるようタンパク質を分泌してその周りを覆って出来たものである。これを人工的に作り出したのが、御木本幸吉翁であることはあまねく知られている。この技術はアコヤガイが対象であるが、タイの母貝はシロチョウガイ(Pinctada maxima (Jameson))である。殻を開いた時の形が白蝶のような形であることから、この名が付いている。形が大きいのでその真珠も大きく、「南洋珠」と呼ばれていたこともある。日本でのアコヤガイは平均六〜八ミリ、シロチョウガイは十ミリである。そこで日本では南洋珠を求めて、海外養殖を古く大正時代から手がけていた。

 シロチョウガイを使う真珠の生産は、古くはオーストラリア北海岸沖のアラフラ海が有名で、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、タイの沖で行われてきているという。シロチョウガイの生息条件は、水温が海面で二十七〜二十八度、生息している海底で二十五度くらいである。また紅海では、養殖にベニチョウガイという貝を使っている。

 タイでの生産は一九六〇年代から始まり、東南アジアでは比較的遅かった。この時代に日本から村田真珠、三洋開発両社が進出し、タイ人経営の会社ではSSフッシャリー社があった。宮谷内氏によれば、一九六二年始めに東京水産大学出の小菅喜久雄氏(SSフィシャリー社)が、ミャンマーでは日本の高島真珠社の系列会社であるサウス・シー・パール社がメグイ沖で大がかりな養殖を行っていたことから、同国に接するタイ沖にもシロチョウガイが生息するという見込みで仕事を持ち込んだのが始まりだという。

 同年十月に、宮谷内氏も小菅さんの助手としてタイにやってきた。そしてミャンマー国境近くのピヤム島に基地を置き、仕事を持ち込んだのがタイでの養殖真珠の走りである。現在、このピヤム島がタイ国養殖真珠発祥の地となっているが、一九六三年の調査では母貝はあまり見つからなかった。そこで日本の水産庁、真珠組合の合同調査が同年行われたが、やはり十分な成果は得られなかった。

 ところがタイにはタイ語でチャオ・ナムと呼ばれいる漂海民族が、年間で数万の母貝を集めてきた。そのボスはラノンに住むスギヤムという人物で、彼が手下を使って集めさせたのである。これだけの母貝が集められるならばと、日本から五社の真珠業者がタイに参入してきた。プケット沖では村田真珠(東京)がスチット博士をヘッドに日本人五、六人の規模で行っていたが、この流れが私達が訪れたナカ島の真珠をやった人達である。またタコパ沖では三洋開発(東京)、その他京都の会社などがあった。

 ところが日本五社の参入は過当競争を招ねき、おまけにミャンマー政府の政変でタイを同国の近海から閉め出したために、日本企業は殆ど撤退し、結果的に残ったのがナカ島の養殖真珠なのだそうだ。

 一九八〇年代になって、シャム湾、サムイ島の周辺を入念に調査を行うと、シャム湾でもシロチョウガイの集団が見つかり、一時撤退していた村田真珠はサムイ島へ再進出し、シャム湾にはサウス・シー・パール社が進出することになる。現在はタイのローカルの漁業会社二、三社と、日本系ではサウス・シー・パール、ナカパール、サムイ島の村田パールなどがある。

 シロチョウガイの円形の真珠に加え、もう一つマベ貝から造られる半円形真珠がある。ここでも母貝の収集は漂海民族に頼った。この養殖の根拠地はピアン島である。この漂海民族に対して援助の手を差し延べようと現国王の母君、メーファルアンが同島を訪れたこともあるという。タイらしい話ではないか。

 最後に、真珠業者には南洋真珠業三原則というものがあるということだ。第一が一国一業者、第二が技術非公開、第三が製品は日本に持ち込まないこと。しかしこの業者協定も一九九九年に廃止され、自由競争の世界に入ったという。

 現在日本で養殖真珠が最も盛んなのは英虞湾ではなく宇和海であり、愛媛県が最も生産量が多い。美しい真珠もそれを造る側には色々な変遷があり、同時に悩みもあるようだ。  

小林 良生
(JICA専門家としてカセサート大学に勤務)



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