アジアの風に恋をして

ワンダーランド


 駐在事務所長会議があり年末、年始は日本にいた。

 ミレニアム(新千年紀)・二〇〇〇年に入った今年は、ことの他毎年のお正月ムードとは違った感じを受けた。多分、大晦日の年越し風景を流す日本のテレビ各局が、主要各国で二〇〇〇年を祝うカウントダウンと花火の競演を執拗に中継したからかもしれない。見ていると、こちらまでも二〇〇〇年に突入した今年は、政治、経済はもち論のこと仕事も私事もすべての事がうまくいく世紀を迎えた思いになった。

 で、そういうことだからでもないのだろうが、仕事始めの翌日の一月五日は、OVTA(海外職業訓練協会 本部・千葉市)で地元の千葉テレビ局のインタビューを受けた。これは、同局の番組の一つ、「気になる企業 ホップ ステップ ジョブ」でOVTAを紹介するための録画撮りであった。タイ駐在の私へは、現地に派遣されている日系企業の日本人従業員のエピソードを求められた。いろいろある中で、私は、コミュニケーションとして必要不可欠な現地語であるタイ語と悪戦苦闘する日本人従業員の様子を話した。OVTAの派遣事業を使い現地の日系企業でタイ人従業員を指導する日本人派遣従業員は、千葉の「OVTA研修センター」でタイ語の基礎会話を受ける。が、実際のタイの現場で業務を指導するとなると言葉がどうしてもネックとなっている。そのことを短いインタビュー時間の中でコメントした。二月放映予定とか、どのように編集されているかわからないが、出来上がりが楽しみである。

 さて、十日間程日本にいて、刺し身、寿司、酒といっぱい〃日本の味〃を口にした。満足であった。私は、この滞在中にタイにいた時とは違う感覚を自分の中に見つけた。いわば、〃タイ・モード〃が〃ジャパン・モード〃に切り替えられていたのである。

 まず、バンコク・ライフではタイ料理を多く口にする私が、全くこの滞在先の日本では、期間中にタイ料理を食べたいとは思わなかったことである。日本の冬の寒さが、タイ料理の辛さのうまさを所望させなかったのかもしれない。〃食欲〃ばかりでなかった。私の好きなタニヤ街もカラオケ店も全く頭から消えていた。タイでの一人住まいと違い家族と一緒にいる安心した生活感が、バンコクの〃夜の微笑み〃を消し去ったと言える。不思議である。私は、この〃異文化適応〃の外因状況を次のような面からも想像した。

 外電は、暮れから新年とエリツィン・ロシア大統領が辞任したニュースを中心に、時々刻々世界の動きを流し続けた。タイ国に関するニュース、トピックスは、日本の新聞、テレビには出ていたのだろうか?ほとんど、「NO」に近かった。新聞で言えば、「二千組の結婚式(読売)」とか「スーチーさんの日本に民主化支援要請(毎日)」といったベタ記事扱い程度。テレビでは、果たしてタイについてどれ位映像を流したか…。だから、任地のタイについては気になるものの、特に問題なしとして私の頭の隅に追い払われていたのである。それで、タイ住まいで体中に染み付いたタイの愛しい視覚、聴覚、触覚、それに味覚までもが、日本滞在でプッツンしてしまったようだ。私は、このように結論付けた。

 日本から見る一般的日本人のタイ国観は、政治も経済は制度も全く知る必要のない単なる〃ワンダーランド〃。アユタヤで象に乗り山田長政の日本人村で往時を偲びジムトンプソンでお買い物。コカスキーでタイ風シャブシャブに舌鼓の後は、タイ式マッサージで体をほぐし余力があれば夜の天使とハッピイエンド。更に旅行日程のある人は、やれ、プーケットだサムイ島だとビーチ日光浴でおおはしゃぎ。はたまた色白美人を求めてのチェンマイ詣で。

 二〇〇〇年のミレニアムの今、タイの工業団地で底力を見せ始めた日系企業の獅子奮闘振りを日本人従業員の人間臭さを入れて取材する日本のメディアが、一つ位あってもおかしくないと思う。そうすれば、日本に住む同胞も少しはタイ国が、ワンダーランドばかりでない近代化を目指す東南アジアの中の一等国であることをわかってくれるハズ…。

 こうした思いを抱きながら、また私は、当地に着任した。

(OVTAタイ事務所所長)開原 紘


[BANGKOK SHUHO]