アジアの風に恋をして

初夢


 日本に一時帰国した正月二日に初夢を見た。それは、昨年末に訪れたミャンマー連邦とラオス人民民主共和国のそれだった。

 私は、ミャンマー入国は今回が初めてだった。ラオスは、二十代後半に三年住んだ。

 ミャンマーは、日本の国土の一・八倍で人口が約四六四〇万人。ラオスが〇・六倍の約四五〇万人。人口や国土の違い、また軍事政権や社会主義政権の体制は別として、にかよった状況にあることに気付いた。

 まずもって、両国とも金が無い。貧しいのである。輸出産品で稼ぐものが、今は乏しいのである。タイ王国のように日系企業が進出し、日本の高品質管理された物を世界相手に、「MADE IN THAILAND」のようにして出荷する物がない。これでは、国を豊かにすることは不可能。おまけに、タイでは、海でも山でも街でも、外国人観光客が昼でも夜でも楽しめ満足できる状況を作っている。が、両国には、旧所名跡はあるものの、観光客の欲求を十分満足させる諸要素、これにはインフラ整備も含めてだが完全に欠けていると私は思う。さりとて、派手さの欠けた素朴さのある観光地を求める客は、当然いる。それで、両国の今の〃地味の魅力〃も外国人客を呼ぶ売り物の一つであるには違いない。

 「待てよ」。私は、夢の広がりの中でミャンマーの首都ヤンゴンや第二の都市マンダレー、ラオスの首都ビエンチャンや世界遺産の一つであり王都であったルアンプラバンの町を再び見た。

 小乗仏教徒の両国。仏跡は多い。人々も熱心にお寺に寄進する。争いごとを好まない人々は、心が優しい。欧米人観光客が〃オリエントの魅力〃に引かれるのも当然と言える。が、どうも見渡したところ、バックパッカー類が目につく。どこにでも寝られるスタイルであちこち歩き回っている欧米系の彼らたちは、言うならば、金を使わない旅行者。つまり、国に財源を呼び込まない人種。狭いビエンチャン街は、本当にこうした人々で群れている。ビエンチャンに事務所を持つ一流日系商社の現地スタッフでNO2の私の友人は、「観光客が来るのは、大いにいいのですが、何せ、彼らは一円でも使わないと必死ですよ。パンと水で一日を過ごすくらいだから」。

 言われてみれば、そうだろうと思った。タイにも、日本人のバックパッカーをはじめかなりの数の彼らが毎日来ているようだ。しかし、それ以上に、金を湯水のように使うニッポン人やその他の世界中の金持ち人が、タイには入って来る。昨年は、八百万人もの外国人観光客がタイに足を踏み入れたと聞く。

 物を作る企業が、ほとんど無いミャンマーとラオス。失業者は、いっぱい。何もすることがなく一日一日を過ごす若者たち。国に対し、要求デモもご法度の体制。であるならば、せめて、ベトナムや中国のように市場経済化に取り組む力量を両国の為政者は、やって欲しいと思う。日系企業が、力を発揮できる環境整備をして欲しい。タイ国への技術移転も済んだとして、次にミャンマーやラオスへ新たな転進先を求めるハズ。ミャンマー人もラオス人も器用だしまじめだし日本人に尊敬の念が強い。日本人企業家も、進出してよかったと喜ぶだろう。両国の人々も豊かさを味わうことになる。

 昨年の十一月二十八日にマニラで小渕首相がミャンマーの軍事政権の最高指導者、タン・シュエ国家平和発展評議会議長兼首相と会った。これは、両国の首脳会談としては、一九八四年以来十五年ぶり。ミャンマーは、日本の経済援助再開に期待を寄せた。

 「バンコク週報」は、「現在ミャンマーの大学閉鎖は、今年の五月の新学期までには閉鎖解除すると国家平和発展協議会が十二月三日に発表した」と伝えた。いよいよ民主化への動きとなるのだろうか?

 一方、ラオスにも明るいニュースが来ている。今月は、日本の首相として三十三年ぶりに小渕首相がラオスを訪れる。沖縄サミット前のアジアの国の声を聞くためとか。何かがラオスと日本との間で花開いて欲しい。そして、二〇〇〇年の初夢が終わらないように…。

(OVTAタイ事務所所長)開原 紘


[BANGKOK SHUHO]