アジアの風に恋をして
ホアランポーン駅
〃どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車のなつかしさ
上野は俺らの心の駅だ〃
ご存知、井沢八郎の歌った昭和三九年の大ヒット曲「ああ上野駅」(詩・関口義明 曲・荒井英一)の出だしの部分である。若い世代の中には井沢八郎を知らない方がおられるだろう。そう女優の工藤夕貴の父親である。
さて、バンコクにもこの歌詞がピッタリくる〃タイ版上野駅〃とでも言えるホアランポーンという名前の駅がある。私は、この駅との出会いは、二十代後半の時であった。
私は、ラオスの首都ビエンチャンで青年海外協力隊の日本語教育隊員として国立技術学校の生徒に日本語を教えていた。隊員には、任期一年過ぎには任国外研修旅行という公式出張が認められていた。それで、バンコクに出て日本語教育機関や学校等を訪ねて先生やタイ人生徒との懇親が出来る楽しい出張であった。飛行機を使っての往復など不向きな隊員生活。それで、ノンカイ・バンコク間をバスで行ったり列車(三等)を使ったりした。それで、二十数年前からホアランポーン駅に青春の思い出をたくさん残してきた。当時も今もノンカイ、チェンマイ、ウボン方面からまたシンガポール、マレーシアからの乗り入れも同じであった。が、当時は、駅舎内は、薄暗らかった。舎内にいる人々の服装も全体的に質素で貧しさを感じさせた。それでかどうか、舎内は薄気味悪ささえ感じた私であった。
時改まって今。私は、バンコクのミニ情報紙「WEB」の四月号でタイの鉄道開通百三周年という特集記事を目にした。それによれば、「タイに鉄道が敷かれたのはラーマ五世時代の一八九六年。ホアランポーン駅は、ラーマ六世の時の一九一六年六月二五日に完成。ホアランポーンとは、建設された広場の名前。イタリアン・ルネッサンス建築様式によるドイツのフランクフルト駅がモデル。駅舎入口頂部で時を刻む大時計は、当時のもの」といったことを知った。
一昨年の四月、ラオスへ行った時は、この駅からノンカイまで夜行列車を使った。その時は、ホアランポーン駅は、切符売場も売店も待合い椅子も以前と同じようなところにあった。が、舎内には、もう不気味さもなく貧しさも見られなかった。乗降客と見送りの人のざわめき、人の動くあわただしさとがないまぜにある〃バンコク中央駅〃の雰囲気であった。
先月、「WEB」の記事を思い出しぶらっとホアランポーン駅に出掛けた。
驚いた。駅舎の外形は同じである。が、舎内が全く変えられていた。テラス風作りの二階建ての店には、軽食やレストラン、旅行テナント、本屋、コンビニ、コーヒー店等。派手めの広告ボートも目に留まる。二階の待合いベンチからは、うごめく舎内の人の顔が一目瞭然。デイトの時には、このテラスはミスなく会える好スポットに思えてくる。更に目を点にする驚きは、切符売場がプラットフォーム出入り口に移りコンピューター機器を取入れてのブース作りとその上部で点灯する英語表示もある出発到着の電光掲示板。よくぞここまで、外国人にもわかり易くモダンに変えてくれたとタイの鉄道関係者にありがとうを言いたくなる。そう言えば、東京・上野駅も新幹線の乗り入れに伴ない、駅舎内は同じながらも売店や施設等は大分変わったはず。変わらないのは、上野駅もホアランポーン駅も、〃どこかに故郷の 香りをのせて〃行き交う地方からの〃俺らの心の駅だ〃という共通の思いだろう……。
(OVTAタイ事務所所長)
(OVTAタイ事務所所長) 開原 紘
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